ノミネート作品(1)
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ノミネート作品(1)0401〜0410

【0401】二児の母むぎこさん ⇒投票ページへ

「このチョコにはね、鳥のフンが入ってるんだって!だから安いんだよ」駄菓子屋で仕入れてきたおやつを一緒に食べていたユキちゃんが言った。鳥のフン? なんでそんなもん入ってんのー?と聞くと、高いのには入ってないけど、20円のチョコには入っているんだとユキちゃんは言い張った。確かに、本当のチョコの味とはちょっと違うような気もする。これがフンの味? でも、どうして鳥のフン?犬とかネコのフンの方が大きいから良さそうなものだけど。「ダメなの、鳥じゃないと。鳥のがおいしいんだって!」自信満々に言われると、そーかと納得したものだった。恐らく、ユキちゃんは20円のチョコばっかり食べるから、親がそれには鳥のフンが入ってるんだからあまり食べるなと言ったのかもしれない。そんなセンスのいい親に、私もなりたい。
(駄菓子エッセイ Vol.29:2002/11/15)


【0426】けろさん ⇒投票ページへ

駄菓子と聞くと思い出すのが”糸”の先に飴がついた・・名前が解らないのですがアレです。(笑)束の中から1本引くと真ん中の1つ飴の飴がヒクヒクヒクと引っ張られる。子供って段々知恵がつくと言うのか〜(笑)あ、私がやったんじゃないんですよ!私は横で「そんなことが出来るんや!」と感心してる方だったので。(笑)
何人かで駄菓子屋さんに行き、その飴の箱をしげしげと見る。「おばちゃん、あれは何?」と言うように1人が別のお菓子におばちゃんを誘導する。。。その隙に!あの飴って小さいのがミカンで大きいとリンゴだったりしたんですよね。その大きなリンゴの飴を引っ張ると、おのずと1本の糸が動く。。。そう”アタリ”です。(笑)で、何食わぬ顔でその糸を持ち、おばちゃんが戻るとスルスルスル〜っと引っ張る。「うわっ!アタリや♪」
私はミカンしか食べたことなかったな〜 (;^_^A ズルが出来ないというのか勇気?がないというのか・・・(笑) 駄菓子屋さんって子供にしたら魅惑の世界だったんですよね。私は41なんですが、子供の頃って、家にお風呂が無い家がごく普通で、銭湯に行ったもんです。今みたいに誘拐とかもなく、子供だけでも行けた時代でしたね。銭湯の近くに駄菓子屋さんがあって〜 銭湯代にプラスαを母にもらい、出たら寄って何かしら買ったもんです。100円どころか50円持ってても幾つか買えたんですよね〜(^^)買い物の初歩は駄菓子屋からだったように思います。
今でも、見つけたら、たま〜に買うんですよ。(笑)小さなヨーグルトとかね。(^m^ )クスッ
(駄菓子エッセイ Vol.43:2004/01/20)



【0403】千葉県 W.Nさん ⇒投票ページへ

店の雰囲気としては、横は昔ながらのラッパが鳴る豆腐屋さん、小学生なじみの文房具屋、向かいは産婦人科や布団屋、樽で売っている味噌屋や、母親が行く薬局と雑貨が合わさった店という立地にあり、常に大人の目の中にある店だったせいか悪い事をするような雰囲気はありませんでした。
もしも学校をずる休みしたり帰宅せず寄り道ついでにランドセルを隠して店に入ろうモノなら、店のおばちゃんやじいちゃんに、なぜだか声をかけられるという感じですね。レジの後ろは透きガラスの引き戸で、家族と思われる兄弟姉妹がドタバタとしている様が垣間見られ、おばちゃんやおじいちゃんは時々奥の家族に声をかけたりして、親戚の家のようですね。自分たちと同年代の子を持つ親として店に来る子供達にも目をかけていたんだと結婚してから気がついた次第です。
店の中では学校でのいじめも、勉強の不出来も、みんな無くなっていたように思います。親から離れてちょっと大人になったようなくすぐったい感じで、子供同士の連帯感が自然に出来ていたように思い出されます。
インベーダーゲームが2台ほど古びてあり、それは一回百円するので、おこずかいに余裕がある子が思い切って挑戦していて、他はみんなよっちゃんいかや餅太郎を食べながら応援していたと。
ちょっと遅くなると中学生がお店に来る時間になり、焦って帰ったように思います。店のおばちゃんも夕飯の支度があるのか、いつの間にかじいちゃんやばあちゃんに交代していて、もう4時過ぎだからさっさと帰れと。また明日きたらこれとこれのお菓子をとって置いてとかじゃんけんして負けたら帰るとか、子供ながらのしつこい約束をよくしたモノだと思いました。
(駄菓子のある風景 Vol.29:2002/11/15)



【0404】をがこさん ⇒投票ページへ

今から二十数年前、何も知らずにただ「オギャーッ」と歌子はこの家に誕生した。何も知らずに、何もわからずに。それから幾年の歳月を重ねすくすくと育った歌子は、世の中のことが少しずつわかるようになっていった。そして小学校に通うころには、彼女は実は自分が恵まれた環境に生まれてきたということを既に知っていたのだった。― 駄菓子屋の孫。ばあちゃんの家は近所にあり、歌子は母親に連れられて自転車でよく遊びにいっていた。そのたびにばあちゃんは、「百円分、好きなものを持っていきなさい」と歌子にやさしいやさしい笑顔を見せてくれる。歌子はその笑顔がとっても大好きだ。そして、さほど広くはない店先も、駄菓子で溢れるその空間は子供の彼女にとっては、まるでお城のようだった。ガラガラと引き戸を開けて駄菓子を買いに来る他の子供達を尻目に、歌子は大好きな駄菓子をゆっくりていねいに物色する…。― 駄菓子屋の孫、なんだ。
(駄菓子エッセイ Vol.30:2002/12/15)




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【0405】静岡県 滋子さん ⇒投票ページへ

今では本当の駄菓子屋さんがなくなってしまいましたね。時どきデパートなんかで駄菓子のコーナーがあり覗いてみると、値段が倍ぐらいになっています。
私が思い出すのは小学校のときです。学校の近くに2,3個あっていつも帰り道、学校が終わったあとなんか通っていました。特にお気に入りはくじですね。箱に何個か何が入っているかわからない、その一画を破くもの、箱のボタンを押して赤が出てくるとあたりのもの、ひもを引っ張るとどの飴がつれるかなど、本当にワクワクしてたものです。もう常連になってしまって、子供の悪知恵が働き、おばさんが奥へ入ったときあたりの赤いガムを取り出して「当ったよー」なんて言ってました。
今考えるとたかが駄菓子屋と思いますが友達との交流、ものすごい好奇心、少しの楽しみを大いにに味わえるとても大切なひととぎでした。
駄菓子屋さんは子供の好奇心を広げる、なくしてはいけないものだと思うのです。最近、子供と公園へいくとカードゲームを一生懸命にやっている子供を見かけますが、時代は変わってしまったと着くづう思い、なんだか寂しいですね。
(駄菓子エッセイ Vol.30:2002/12/15)



【0406】愛知県 mimi奴さん ⇒投票ページへ

幼稚園の頃住んでいた家の近くの公園の前に、小さな駄菓子屋さんがありました。玄関を入って土間のようなところで営んでいた小さなお店です。
そこであろうことか、弟はおもちゃのお金(コイン)で買い物をしたのです。見ればすぐおもちゃと分かる代物だったのですが、それで口を切りそうな大きな赤いあめ玉(まわりにざらざらしたお砂糖がまぶしてあって、なめていると舌が真っ赤になる。当然、緑玉は緑になる。)を購入してきました。
それを知った母は大怒りで、弟とそのお店にあやまりに行きました。おばちゃんは「上得意さんだからいいよ。」と笑って許してくれたそうです。その後弟はお仕置きに、押し入れに入れられて大泣きしてました。
駄菓子屋のおばちゃん、おもちゃと分からなかったのかな? それとも知っていて許していたのかな?いまだに謎です。
(駄菓子エッセイ Vol.30:2002/12/15)






【0407】北海道 プースケさん ⇒投票ページへ

小さいころアポロという駄菓子屋がありました。そこでは、カレーのスナックが何杯かのくじや三角のあめのヒモのついたもので引っ張るとなに味が当たるかとか、子供の頃はみょうにわくわくして、当たると物凄く特した気になったものです。もう1つ、まだ祖父が生きていたころ、サンタブーツがほしくて祖父にクリスマスプレゼントはサンタブーツ(サンタの長靴)とたのみました。しかし祖父は手ぶらで帰ってきて「お前の靴のサイズがわからんかった」…がっかりしたのを今も覚えています。大人の私になってもあれって今だ憧れちゃいます
(駄菓子のある風景 Vol.30:2002/12/15)



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【0408】東京都 純太さん ⇒投票ページへ

一人暮らしのおばあちゃんがやっていた。昔は町で評判の美人だったらしい。子供には口うるさいが、大人がいるととても親切でにこにこしていた。ある日母の日のプレゼントを買った帰りに寄ると「おばあちゃんには贈り物をくれる人なんかいなくてね・・・」。その姿はとても寂しそうで、「ちょっと待ってて」と言って家にとんで帰り、サイドボードにあった母のドライフラワーを少し拝借して、「長生きしてください」なんて書いて息せき切って渡しにいった記憶がある。おばあちゃんはひどく喜んで両手いっぱいお菓子を持たせてくれた。しばらくはおばあちゃん家の柱時計の横にあの日あげたドライフラワーががざってあって照れくさかった。
(駄菓子のある風景 Vol.30:2002/12/15)



【0409】神奈川県 にゃーさん ⇒投票ページへ

昔は近所に3つ駄菓子屋さんがあったのに、今はその全てがなくなってしまいました。でもこないだ、友達の家の近くにある古い駄菓子屋さんに連れていってもらった。そこは、夫婦で経営してるらしく、その日はおじいちゃんが店番をしていた。他愛も無い世間話が妙に懐かしく楽しかった! こんな世の中だからこそ、自然とこういった和める場所を求めてしまうのだと思う!駄菓子屋が消えるのは、自分の思い出も一緒に捨てられてしまうみたいなものだから、やっぱり悲しい。駄菓子屋増やせとはいわないから、(出来たとしても、そりゃニセモノだ!!)せめてこれ以上無くなって欲しくないと思うのであります。みんなの思い出つぶさないで(;。;)
(駄菓子のある風景 Vol.32:2003/02/15)



【0410】奈良県 H.Sさん ⇒投票ページへ

子供の頃(昭和35年ごろたったかな)、家が貧しくて中々駄菓子を買うことは出来なかったが、親戚の人から貰ったお年玉を直ぐには使わず、一番好きであった「蜂の巣」というカルメラ?をふっくら焼いた丸いお餅のような形したお菓子を、村で一軒しかない店(佇まいの綺麗でない店)で買った記憶が今でも鮮明に残っています。この店は、おばあさんが一人で切り盛りしており、魚から駄菓子に至るまで扱っており、村の社交場的な感じでした。駄菓子は、ガラス瓶の中にあり、そのガラス瓶は棚に置かれており、勝手に蓋をあけて取り出し、そのおばあさんの所まで行って、お金を渡したものです。偶に「蜂の巣」を買った時に「飴玉」1個をおまけとして貰ったものです。当時は、みすぼらしい格好をしていたためか、可哀想だと思われたのかもしれません。今は、そんな素朴で心温かい感じの店がなく、残念でなりませんね。
(駄菓子のある風景 Vol.33:2003/03/15)




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