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★【0411】兵庫県 O.Tさん ⇒投票ページへ うちの近所に「いも屋」という駄菓子屋がありました。名前の通り焼き芋製造販がメインなのですが、傍ら「当てもん」とか駄菓子がところ狭しと並んでおり、店内は1畳ぐらいのスペースしかなく、子供たちが二人ぐらいくるともう満員でした。 そんな店で、ある夏の日、友人と二人「当たりつき」のアイスキャンディを買ました。パーラーなど無い時代でとても暑かったので、二人ともぺロリと食べたあと、楽しみの「当たり」があるかどうかキャンディーの棒を調べてみると、見事「当たり」。友人に見せると「こっちも当たり!」。なんと二人とも当たりでもう一もらえるのです。「すげー」といいつつ、早速、その当たり棒を握り締めていも屋へ行き、同じアイスキャンディを手に入れました。ぺロリと食べて当りを調べると、な、な、なんとまたまた二人とも当たり、「やったー!」と大喜びしてまた「いも屋」へ。 またまたアイスキャンィGET!なのですが、もう二本も食べたのでさすがに3本連続は食べれなかったので、家に持ち帰り兄にあげました。しばらくしてから兄が「おい、当たりだぞ!」とさっきあげたアイスキャンディ棒を見せるのです。「ええええ!?」いくらなんでも変だと子供ながら思い、兄と一緒に「いも屋」へ行きました。店のおばあさんも驚きつつ不思議がっていましたが、当たりは当たりなので素直に4本目をくれました。 数日後兄に聞いてみると、そのアイスキャンディは業者の手違いですべて「当たり」のものが入荷してしまったようでした。いまでも連続当たりに驚いたおばあさんの顔が目に浮かびます。(笑)楽しい子供時代の思い出でした。 (駄菓子のある風景 Vol.34:2003/04/20) ※一部文字化けがあり、編集部で修正させていただきました。 ★【0412】福島県 T.Rさん ⇒投票ページへ 小学生の頃、駄菓子という言葉は使わなかったです。「○○商店はおいしいものがたくさんあるよ」という口コミで友人と行ったら、色々なお菓子が並んでいて、とても感動したのが今でも記憶に残っています。今思うと、もっと見やすく整理してねという状態でしたが。100円まで出さなくても思いっきりお菓子が食べれるというのも魅力でした。 すもも漬は当時1個10円でした。初めて食べた時、世の中にこんなにおいしいものがあるのかと驚きと感動に満ちていました。いつもは2,3個買って自宅に持ち帰るのですが、母に「それは体によくないからダメ」とよく注意されました。確かに体に悪そうな色なんですがね。ある日、母に反抗したいことがあって、すもも漬を10個買って見せ付けるように食べたことがありました。でも、一度に食べるには2,3個程度がいいと思いました。 それと、SMAP×SMAPで中居君がマー坊という時代遅れのキャラを演じていて、ファーストフード店で「お飲み物は?」と聞かれ、「ミリンダ」と答えたんです。主人や友人はそれが、駄菓子屋さんにあったドリンクだと知っていてウケていたんですが、私は知らなかったんです。飲んだことがないので機会があったらぜひ、飲んでみたいです。 (駄菓子のある風景 Vol.34:2003/04/20) ★【0413】千葉県 みなみさん ⇒投票ページへ 私は、3歳のころ、いつも1週間に1度の紙芝居やのおじちゃんが来るのがすごく楽しみでした。午後3時ごろになるとどこからともなく紙芝居やのおじちゃんが自転車に乗ってやってくるのです。おじちゃんは自転車の後ろに大きな木製の紙芝居の木枠といろいろな種類の駄菓子が入っている引き出し式の箱を積んでやって来ます。おじちゃんは近所の空き地にやってくると太鼓を「どんどんど〜ん」と鳴らしてやってきた事をみんなに知らせます。そうすると、私は母に5円玉を1個もらって、いつもの広場まで大急ぎで走っていくんです。5円玉1個では、あまりたくさんの駄菓子は買えないのですが、私のお気に入りは、1枚1円のふかふか煎餅でした。いつも5枚買ってせんべいを5枚重ねて、あいだにハケでソースを塗ってもらってサンドイッチにして食べるのが好きでした。紙芝居の出し物は、その日に寄って「黄金バット」「鞍馬天狗」「赤胴鈴の助」など正義の味方が出てくるものばかりで、いつもヒーローは弱い者の見方でした。ソース煎餅を食べながら、立って見る「紙芝居」は最高でした。おじちゃんの読み語りも役者顔負けに上手だった事を今でも子供心に鮮明に憶えています。 (駄菓子のある風景 Vol.35:2003/05/17) ★【0414】沖縄県 T.Nさん ⇒投票ページへ 私が住んでいる沖縄の駄菓子屋は、沖縄の方言で「一銭マチヤーグヮー」と呼んでいました。今は、もうその様なお店は無いけど、当時1980年代頃、「インベーダーゲーム(テーブル式)」が流行し、学校が終わったら、いちもくさんにそのマチヤーグヮーに行き、友達同士でよく、叔母ちゃんを笑わしていましたよ。 当時の遊ぶ道具と言えば、ビー玉やはじき・パッチー(厚紙で出来ており、これを叩いてひっくり返したら貰える、20円の商品)などが主であったため、毎日、駄菓子屋に行って、駄菓子を食べながら友達と勝負して、駄菓子屋の前は、夜まで私達、小学生の遊び場となって、ワイワイ・ガヤガヤな日々でしたよ。 ここの、駄菓子屋の叔母ちゃんは、当時、腰が曲がっていたにも関わらず、私達が散らかしたチリクズを文句ひとつも言わず、掃除してくれたのを見て、それから友達、皆で後片づけ(掃除)して帰宅した思い出がありますね〜。 その頃の「一銭マチヤグヮー」の叔母ちゃんは、学校の先生より優しくて、私達の「神様」でしたよ。 (駄菓子のある風景 Vol.35:2003/05/17)
UP ★【0415】長崎県 S.Cさん ⇒投票ページへ 小学校3年生の時、お友達と買ったばかりの水あめをなめていたら、お友達の奥歯が水あめにくっついて取れてしまい、お店の前が血だらけになってしまいました。(- -;)お友達は水あめと他にも沢山駄菓子を買っていたのですが、歯がとれてしまった事で、食欲が失せてしまったのか、買った駄菓子を全部私に渡して帰ってしまいました。。。心の中ではラッキ〜!と思いながらも、自分もそうならないようにと、気をつけながら、貰った駄菓子を全部たいらげたのでした!(*^^*)お友達はその後水あめは一切口にしなくなったのは言うまでもありません。(^^;) (駄菓子のある風景 Vol.35:2003/05/17) ★【0416】東京都 S.Tさん ⇒投票ページへ ゼブラ」という駄菓子屋さんがありました。本当のお店の名前はわからないのですが、「ゼブラボールペン」という宣伝看板が店先に出てたからそう呼ばれていたそうです。また、「プラチナ」という駄菓子屋さんもありました。本当のお店の名前はわからないのですが、「プラモデルが置いてあるから」「プラチナというアメを扱っているから」と諸説ありました。私が子供の頃あったそのお店は、両方ともなくなってしまいました。ゼブラはおじいちゃんが、プラチナはおばあちゃんが経営していました。いつ行ってもニコニコと対応してくれたあの2つのお店。お小遣いを駆使して通ってたっけ。あれはお菓子も魅力だったけど、きっとそこにいたおじいちゃんおばあちゃんと集まってくる地域の子供たちとの交流が楽しかったんだと思います。最近では個人経営の駄菓子屋さんを見かけなくなって、あの心温まる交流が減ったのだな、とさびしく思います。友達と遊びながら食べたあの味。もう1度あの頃に戻りたいです。 (駄菓子のある風景 Vol.36:2003/06/18) ★【0417】神奈川県 I.Hさん ⇒投票ページへ 中学の頃帰り道に駄菓子屋があった。30円のジュースを冷凍庫で凍らせてあって、店内に校長室にある三人掛けソファーみたいのが2つくらいあってとかの、部活の帰りに10人近くでいつも寄っていた。夏は凍らせたジュース、冬はブタメンとかかな?そこで新聞に載った自分たちの姿を見たりしながら毎日1時間くらいいました。いつも行ってたからそこのおばちゃんもいろんなサービスしてくれました。自分たちで新しい味を作り出そうとして、ふがしに穴を開けそこにコンニャクゼリー(20円で渦巻き型?とぐろ型?)をぶち込んで食べたのが大ヒットして、実際おいしかったかっていうと微妙ですが、いまだに駄菓子や見つけるとふがしとコンニャクゼリーは必須です。あとラーメンばばあ(じじい)とすもものセットもたまりません。きなこ棒もうまいし、あと、今は生産中止になりましたがうまい棒の納豆味は市内のお店駆け回って買い占めた記憶があります。 (駄菓子のある風景 Vol.36:2003/06/18)
UP ★【0418】宮崎県 N.Hさん ⇒投票ページへ 私の祖母が昔お店をしていまして、子供の時は毎日50円か100円を持ってすずめのたまごを100円だと100個買って帰っていました。今思うといつも祖母はおまけに10個位多く入れてくれてました。駄菓子のおもしろばなし〜 今は、私も二児の母になり上の子は男の子でたかしといいます。その子が2〜3年前位前なのですが自分の名前がなんとか読めるようになったときに、駄菓子屋さんに行った時お菓子を袋に入れてもらい袋を眺めながら一言「お母さんなんでね、袋にたかしの名前がかいてあると?」と言うのでみると駄菓子の漢字の横にひらがなで「だがし」と書いてあり子供と3人で大笑いでした。 (駄菓子のある風景 Vol.38:2003/08/21) ★【0419】東京都 N.Mさん ⇒投票ページへ 小学生、中学生の頃は近所にたくさんの駄菓子屋さんがありました。100円もあればけっこういろいろなものが買えて、それこそ当たりくじつきのお菓子であたりがでると嬉しかったものです。中学の頃は友人と同じ個人塾に通っていてその行きに駄菓子屋さんによってからいっていました。冬は60円のカップヌードルが醤油味とカレー味があってお店のおばさんからお湯をもらって温まってから塾へ向かっていました。駄菓子にはいろいろありますがアンズ棒(当時20円)、すもも(当時30円)も大好きでよく食べていました。そういえばキャベツ太郎とか、タマネギ太郎などの20円くらいでスナック菓子もあった記憶があります。クッピーラムネも好きだったし、25年位前は今もお馴染みのベビースターラーメンは20円でオレンジのセロハン風のパッケージだったような気がします。時々街中でも駄菓子屋さんを見かけますが、昔のほうがよかったなって思います。いまって当時の値段の3、4倍の値段になっているのが多くなんだか切ない気がします。駄菓子ってちょっとしたおこずかいで買えるっていうのが私たちの世代の法則でした。今じゃ、20円とか30円のアイスすらない世の中ですもんね。昔が懐かしいです。 (駄菓子のある風景 Vol.39:2003/09/18) ★【0420】ひろしさん ⇒投票ページへ いつも他の人の駄菓子屋さんの思い出の話を読むと涙が出てきそうになります。楽しかった子供の頃に戻りたくなります。物は今ほどなく、生活環境もよくなかった時代ですが、みんな楽しく精一杯生きてたって感じがします。みんな貧しい時代でしたが精神的にはその頃のほうが今よりずっとずっと裕福でした。物がないのでみんなで分け合ったり、親から買ってもらった物を大事に大事に使ってました。今のような100円ショップの感覚はありませんから。 さて前置きはこのぐらいにして私の思い出話をさせて頂きます。むかし私が住んでる家のすぐ近くにやっぱり駄菓子屋さんがありました。お店にはおじさんとおばちゃん(おじいさん、おばあさんに近いかな)とがいて、そこには子供がいませんでした。お店はもっぱらおばちゃんがやっていて、店の名前は『まつの』というところです。みんなが「まつのいこ。まつのいこ」とか言ってたので、てっきり私は店の名前だと思っていました。(スーパーみたい)でもある日そのまつのが、そのおばちゃんの苗字と知ったときはおばちゃんがかわいそうに思ったことを覚えています。子供や悪がきの小学生から苗字を偉そうに呼び捨てにされてたんですからね。おじさんも優しい人で趣味のカメラで、時々集まってくる子供達を写してはその写真をくれました。 (駄菓子エッセイ Vol.41:2003/11/21) →ノミネート作品(1)(3) ご意見・ご感想・お便りをお待ちしています。 コンテストのアイディアなどがあったらぜひ提案してください。ではまた。 UP |
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