★【0506】福島県 K.Kさん ⇒投票ページへ
私が小さい頃、近所には3軒の駄菓子屋さんがありました。そのうちの1軒は、ゲタ屋さんの一角が駄菓子売り場で当たりくじを引くと、オーバーなくらい褒めてくれる40代後半ぐらいのおばちゃんが店番をしていました。
毎日10円〜20円を握りしめ、「今日こそは1万円チョコを当ててやる!」と意気込んで出かけるのですが、あいにくクジ運が悪くなかなか当たりませんでした。
ある日、いつものように気合いを入れてゲタ屋さんへ行くと、おばちゃんが、「チョコのクジ、一等がまだ出てないよ。クジも後2枚だから引いてきな」と言い、クジの入った箱を差し出しました。
運の悪い私は、2枚目のクジで一等の1万円チョコを手に入れる事が出来ましたが、今思えば、あまりに当たりクジに縁のない私を哀れんでおばちゃんが情けを
かけてくれたのかもしれません。
(2004.04.23 きゃら@め〜る第46号◇駄菓子のある風景◇)
★【0507】駄菓子について チョコ ⇒投票ページへ
私は、20歳の大学生だ。家の前が駄菓子屋さんという、恵まれた環境(?)で育った私は、小さい頃、毎日のように、そこに通っていた。
一度駄菓子でおなかがいっぱいになって、ごはんが食べられなくなったことがあり、それからお小遣いは一日50円になった。私は50円玉を握り締めて、真剣に50円分の駄菓子を選んだ。
そんな私が毎日買う駄菓子の中に必ず入っていたのが「ヨーグル」である。小さい白いカップに、牛乳瓶のフタのようなものがついていて、中に、本当に一口、二口分だけの、ヨーグルト味のクリームが入っている。それを木の棒ですくって食べる駄菓子だ。私はそれが大好きだった。
たしか一個20円。予算は50円だったので、多くても買えるのは2個。子供の頃は、大人になったら、このヨーグルトをたくさん買って、おなかいっぱい食べることが夢だった。
でも大きくなる前に、駄菓子屋さんはつぶれてしまった。
この間スーパーに買い物に行ったとき、偶然、駄菓子のコーナーでヨーグルを見つけた。懐かしくなり、20個ほど買って、子供の頃の夢を実現させた・・が、途中で気分が悪くなってしまった。やっぱり、1個か2個をちびちび食べるのがおいしいんだなあ、と思ったと同時に、少しせつなくなった。
(2004.05.25 きゃら@め〜る第47号◇ご愛読者投稿 駄菓子エッセイ◇)
★【0508】兵庫県 びんちゃん ⇒投票ページへ
私が働くようになってもそこの駄菓子屋はあったんですね。働くようになると小さい頃から駄菓子大好きな私は会社の帰りにそこにより、1000円とか2000円とか買って帰ってました。昔からそこにある駄菓子屋で、昔は10円20円を持ってどれにしようかとすごく迷っていたのに。。と思い出しながら2000円分とか購入するとすっごい量になるんですね。それがうれしくて、よく買って帰ってました。
大人の私にそこのおばあちゃんは【たくさん買ってくれたからおまけね。】といつも何かしらおまけの駄菓子をくれてました。私はそれがうれしくて、なつかしくてそこに通ったのかもしれませんね。家族みんな「なつかし〜〜〜〜」とあっというまに駄菓子は売り切れ。。
そんななつかしい思い出も今や子持ちの36才。あの駄菓子屋さんのおばあちゃんはうわさで、亡くなったと聞きました。そして今はもう、その駄菓子屋さんは跡形もなく。。。
時々なつかしさのあまり、きゃらめる横丁で買い物させてもらってますが、わが子にも10円20円で買える駄菓子屋さんというのを体験させたかったなと思います。
(2004.06.26 きゃら@め〜る第48号◇駄菓子のある風景◇)
★【0509】愛媛県 K.Mさん ⇒投票ページへ
駄菓子屋さんとはまた違うのですが小学生のころ紙芝居のおっちゃんがよく近くの公園に来ていました。いつもみんないっぱいに集まって型抜きや水あめ、てんかす、ソース・・・100円もって買いに行きました。
おっちゃんは怖くてちゃんと列を作らない子には怒りちゃんと礼儀正しい子には褒めてくれて。紙芝居もおもしろく、数字当てゲームをするときはみんな元気よく手をあげていました。私は授業では手を上げない引っ込み思案な子供でしたがそのときは元気よく手を上げていました。
あれから20年くらいたってしまいましたが、おっちゃんは元気でいらっしゃるのかそれが気になります・・・
(2004.11.22 きゃら@め〜る第53号◇駄菓子のある風景◇)
★【0510】東京都 Y.Kさん ⇒投票ページへ
先日、久しぶりに家族で外食したときのお話です。レストランでのランチを終え帰宅路の途中に、年季を感じる大正時代風の建物に駄菓子屋さんを見かけたお袋は、あら、懐かしいね。と目を輝かせながら躊躇いも無くお店に入りました。
私と兄はあまりにお袋が喜んでいる表情に驚きましたので思わず私達も駄菓子さんに足を運びました。
お袋の時代には無かった駄菓子が幾つもあったようで、目を輝かせながら独り言のようにお袋は私達兄弟に話し掛けて来ました。昔はべっこう飴が人気があるらしくチョコレイト等は、高価なお菓子でしたので当時と今とでは値段が違い、お菓子の種類も数える限りでしたので現在の子供達にとって、お菓子が選べる事自体がとても羨ましいとお袋は話していました。
改めてそのような話を聞いた私はやはり今の時代に生まれて幸せだと実感しましたし、なにより口数の少ないお袋がこのように話し掛けてくれた事が嬉しかった想い出があります。
(2004.11.22 きゃら@め〜る第53号◇駄菓子のある風景◇)
★【0511】静岡県 M.Mさん ⇒投票ページへ
保育園に通っているころ、母親の勤めが遅いため、近所の友達の家で預けられていた。子どもながらに、母親の忙しさがわかり寂しさを我慢していた。しかし、保育園の帰り道の途中で、駄菓子屋さんがあり、大好きなお菓子をよくかった。お菓子がなんだか、自分を励ましているような気がして寂しさも少し吹っ切れた。母親が迎えに来たとき、必ず何の駄菓子を買ったか報告。駄菓子に支えられた幼少時期だった気がする。
(2005.03.05 きゃら@め〜る第56号◇駄菓子のある風景◇)
★【0512】神奈川県 I.Hさん ⇒投票ページへ
中学の頃帰り道に駄菓子屋があった。30円のジュースを冷凍庫で凍らせてあって、店内に校長室にある三人掛けソファーみたいのが2つくらいあってとかの、部活の帰りに10人近くでいつも寄っていた。
夏は凍らせたジュース、冬はブタメンとかかな?そこで新聞に載った自分たちの姿を見たりしながら毎日1時間くらいいました。いつも行ってたからそこのおばちゃんもいろんなサービスしてくれました。
自分たちで新しい味を作り出そうとして、ふがしに穴を開けそこにコンニャクゼリー(20円で渦巻き型?とぐろ型?)をぶち込んで食べたのが大ヒットして、実際おいしかったかっていうと微妙ですが、いまだに駄菓子や見つけるとふがしとコンニャクゼリーは必須です。
あとラーメンばばあ(じじい)とすもものセットもたまりません。きなこ棒もうまいし、あと、今は生産中止になりましたがうまい棒の納豆味は市内のお店駆け回って買い占めた記憶があります。
(2005.04.16 きゃら@め〜る第57号◇駄菓子のある風景◇)
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