駄菓子文学館 8丁目1番地

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キャラメル横丁 -> 駄菓子文学館 8丁目1番地 ->第7回駄菓子文学賞本審査に進んだ優秀作品集

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第7回   応募作品より

本審査に進んだ優秀作品集
第7回駄菓子文学賞


今回、本審査にノミネートされた残りの作品23点をすべて公開しちゃおう、ということになりました。順不同で掲載させていただきます。ありがとうございました。
第7回駄菓子文学賞結果発表
引き続き、第8回駄菓子文学賞の受付が始まっております。次はいよいよあなたの出番!
第8回駄菓子文学賞のご応募は通常メールでこちらまで



当ページの掲載作品は、本審査にノミネートされたにもかかわらず
あとちょっとのところで入賞できなかった優秀作品です


※文字化け部分はご本人に確認がとれ次第修正いたします
by ひろぱぱさん(東京都)

幼い頃、一圓札を握りしめ近くの駄菓子屋へ。
詳しくは覚えていないが、1・2個で一圓の黒大玉アメにするか、4・5個で一圓のかわり玉にするか。よく迷っていたことを思い出す。
菓子類も、今みたいに袋物でなく、ガラス蓋をのせた仕切り箱に入っていて量り売りだった。
新聞紙やチラシで作った袋に入れて貰って、揚げ菓子などは、家に着く頃には油がにじんで手がべたべたになった記憶がある。
心太は、槽に入っているものをおばちゃんが突いてくれ、割り箸の片割れ一本ですすってもいた。
また、クジ運が悪く、いつか大人になって稼ぐようになったら箱毎買ってやるなんて思っていたけど、いつの間にか忘れてしまい、未だに実行していない。思い出した。悔しいな。
と、まあ少ないお金で楽しめる今とは違うテーマパークみたいなものだった。

COMMENT = 昔を思い出すきっかけになりました。当時が懐かしく思います。ありがとう。



by イタグレさん(埼玉県朝霞市)

子供の頃といえば、少ないお小遣いの中から30円くらい握りしめて、姉と走って近所の駄菓子やさんに行ったものだ。
そこのおじいさんは、私のおばあちゃんとゲートボール仲間で私たち姉妹のことを可愛がってくれた。
おじいさんの駄菓子やさんにはガラスケースに入ったビスケットがあり、1枚10円だった。
おじいさんはおばあちゃんと友達だから、時々私たちにビスケットをオマケしてくれた。
おじいさんの駄菓子やには10円でできるゲームがあった。
入れた10円をバネで飛ばして、2枚に入るとガムが2枚、3枚に入るとガムが3枚、はずれても1枚はガムがもらえる仕組みだった。
楽しかったなぁ。あの頃。
おじいさんは私が中学生になる頃亡くなり、駄菓子やさんも町から消えた。

COMMENT = 駄菓子やさんを思い出し、懐かしくなりました。今はスーパーでも駄菓子が買える時代です。おじいちゃん、おばあちゃんがやっている駄菓子やさんは、あまりないですね・・。当選しましたらブログやツイッターで感想をシッカリと書きます!よろしくお願いします。




by げんばかぶさん(愛知県)

私が駄菓子屋さん通いをしていたのは、もうかれこれ50数年も前になりますかねえ。映画の「オールウエイズ三丁目の夕日」の時代で、その頃の日本はまだ貧しくて駄菓子の種類も今のように豊富にはありませんでした。
今はありませんが、サトウキビを皮付きのまま売っていて、安くて長持ちするものですからよくそれを買ってはかじってくちゃくちゃ噛んではカスをペッペと吐き出していました。
その他には、ガラス管やガラスのカップに入った赤や黄色の寒天が、木製の陳列ケースに入れられて売られていました。
その頃は町内に1軒は駄菓子屋さんがあって、隣町の店では「もんじゃけ」(お好み焼きのことをそう呼んでいた)や、冬には「味噌おでん」夏には「かき氷」を売っていたので、遠回りをして買いに行ったものです。
名古屋では「おでん」といえば「味噌おでん」で、だしで煮た「おでん」は「関東焚き」と言っていました。駄菓子屋さんの「味噌おでん」は「関東焚」の鍋の真ん中に味噌を入れた小さな壺が入れてあり、その壺におでんの具を突っ込んで味噌を付けて食べるのですが、二度入れしてよく怒られたものです。
夏の「かき氷」は、その頃の冷蔵庫は木製で中にブリキが貼ってあって、今では見かけなくなった氷屋さんが定期的に運んでくる氷を入れて冷やす冷蔵庫で、その氷で「かき氷」を手回しのかき氷機でつくる一石二鳥の商売をしていました。

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by みゆきんさん(愛知県)

小学生の頃は毎日のように駄菓子屋さんに行ってました。
100円でも大金!いまは気にせず買えますが、幼い頃はいかに色んなものを上手に買えるかを考えてましたね。笑
お店のおばちゃんもそれをしっているのでおまけをつけてくれてました。
それとたまにおすそ分けでお菓子もらってたなぁ。
駄菓子屋さんでブタメンに出会った時は衝撃的でした。駄菓子の中でも値段が少しはるんですが、一つ食べるだけでお腹いっぱいになって、本当に美味しい!今はペペロンチーノが出てて衝撃をうけました!お洒落になっていきますね。
ブタメンにのし梅さんを入れて食べるとこれまた美味い!これもおばちゃんに教えてもらいましたー!また行こう!

COMMENT = 最近はスーパーやコンビニでも駄菓子を購入できるようになってきて、嬉しいはんめん淋しいです。やっぱり駄菓子屋さん独特のお店で買うのが楽しいし、わたしは好きです!
日本製ではなく海外で作られたものも入ってきてなんだか駄菓子が遠くなって行く感じがして。でもやっぱり日本の駄菓子は違いますね!なんだか繊細というか!これからも国内の駄菓子がたくさん食べれますように★

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by ※お名前文字化け(兵庫県)

物心づいて兄貴に連れられて入った小さな駄菓子屋さん。百円玉を握りしめ、当たりつきのガムやあめをかい、あたりがでるのを祈ってたなあ。
少しづつ大きくなってアイスが見えるようになって、瓶のジュースが売っているのに気付き、(その頃の私にとっては高価な品物でした)新しい駄菓子に挑戦したりしてました。
あと下に引っ張るタイプのカードとかもときおり買ってました。
今となっては、おばあさんは亡くなり、お店は潰れましたが、前を通り過ぎるたび、子供の頃の思い出が影となってうつり、懐かしく感じてしまいます。
もう大人になりました。ああ子供の頃にかえりたいわ(泣)

COMMENT = 駄菓子大好きです。ちびまる子ちゃんの(かなり初期に出てくるOPの)あの駄菓子屋さんは現在どうなっているのだろう。昭和の感じがする駄菓子屋さんはなくなりつつあってさみしいです。スーパーでも売られていますが、味気がありませんよ・・・

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by 瀬戸のエプロンおじさん(愛知県瀬戸市)

ボクらが子どものころ(昭和23年生まれです)の昭和20年代や30年代前半くらいまでは街中でお菓子などを買うには駄菓子屋さんしかありませんでした。駄菓子だけのお店とか、野菜も肉も駄菓子もたばこも日用品も売っている家族経営の小さなお店がたく
さんありました。
お菓子は平たく並んだガラスケースの中からおばさんが素手でつかんで出し、それを新聞紙で作った袋に秤で計って「はい、いくらだよ」という時代でした。もちろん尺貫法の時代でしたので匁いくらでした。
たぶん4歳か五歳くらいの時のことだと記憶していますが、大人の中指くらいの大きさでチューブ入りのチョコレートがありました、今の試供品の歯磨きのようなものでした。
冬になれば駄菓子屋さんにはいろいろな凧や独楽なども置いてあり、凧を買うとお店のおばさんやおじさんが糸を結んですぐに上げられるようにしてくれましたね。
今でこそアイスクリームは一年中ありますが、当時は秋になれば店先にあるアイスクリーム用の冷蔵ケースには布などが被せられ「来年までないからね」という時代でしたね。

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by CHさん(群馬県藤岡市)

過ぎ去れば全てが甘い思い出に醸成される。思い出とはそんな物なのであろうか。
昭和35年、私の住む村はずれの何もない開墾地に、一軒の商店が出来たのである。
当時、私の一日のこずかいはたしか?たった10円だった。10円でなにを買うか?
コリスガムのクジがある、これは1回10円で当たるとコリスガムの大きなガムセットがもらえる。
甘納豆の籤もある。大きな箱に数十のしきりがあり、それぞれに小粒甘納豆の子袋が入っている。
どれかの仕切りを選んで指でそこを押し開けると、運がよければ当たりが出てもっと大きい甘納豆セットがあたるのである。
紙ニッキも好きだった。15センチくらいの和紙にニッキ飴がしみこませてあるのである。
それをちぎっては舐めちぎっては舐めするのである。
ニッキの香りが口中に広がり至福の時が得られた。
あれから40年、今でもその店はある。
ご主人は交通事故で早死、あとは奥さんが商売を引き継いで今は娘さんが、お婿さんを取ってコンビニとして営業している。
しかし、もうこれらの商品は当然そこではうっていない。
私の思い出の中の店でしか売ってはいない。

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by Kさん(大阪市此花区)

私が幼稚園、小学校低学年の頃は、毎日、母親からお小遣いを貰って駄菓子屋に行っておりました。金額も当時の事ですので30円~50円程度です。
駄菓子屋では、冬は分厚めの毛糸の膝掛け、夏でも薄いタオルケットでおばちゃんが座っていて、メリケン粉を溶いて、コンニャクを入れたたこ焼きもどきを1個1円だから、「1円焼」の名称でソースをつけて広告紙を丸めたものを器にし売っていました。 
その傍らには1個単位で買える駄菓子が沢山あり、包装などは全部、広告紙や新聞紙だった事を思い出します。
ここはお菓子の家・・・目がキラキラ輝く、、今日は何を食べようかな?あれもこれもほしい! あれ?でも、これを買うとあれは買えない。手持ちのお金がなくなるから・・・
あの年齢でも与えられたお金の中でちゃんと計算しながら毎日、生きていたんですよね

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by Hさん(神奈川県)

子供の社交場だった駄菓子屋さん。
親に連れられ、そして親の手が離れ子供同士で集う。買い物を覚える、お金の価値と計算を覚える、おじさんおばさんに叱られて社会のルールを覚える。
小さな店にひしめき合う駄菓子におもちゃ。濃密な空間と時間は、あの時のあの場所でしか味わえない。思い出の中にあるタイムカプセルのようなあの場所。
COMMENT = 時々駄菓子屋さんの復活を耳にします。嬉しいことです、時代が変わっても子供たちには体験してもらいたい 。ほかの商店では作り出せない空間です。
ノスタルジックな空間ではないけれど、特設コーナーなどで見掛ける駄菓子。 買い物の仕方だけが変わってしまいましたね、大人買いしちゃうんです。小銭を握りしめて真剣に品選びをしていたころを懐かしみながらも。
たくさん買い込んで大きなかごに無造作に入れておく、もうこれは癒しです ! 室内ディスプレーにも子供のころの思い出の名残か、コルクボードに小さな人形や車、キーホルダーなどパッケージのまま ピンでとめて飾っています。
これからも老若男女が集い楽しめる、そんなHP(お店)でいて下さいね。

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apple56さん(愛知県)

今日は駄菓子屋さんへ行くことのできる日。子供のころ月に2回だけお金をもらって駄菓子屋さんへ行くことができました。
そんな日は、息を切らして駈けて帰ってきました。ランドセルを放り出して、駄菓子屋さんへ急ぎました。店頭で見るお菓子はダイヤモンドのように輝いていました。どれを買おうか迷いながら手元のお金を考慮して選ぶのです。
気が付かない投資の心がわいています。少しでも多くのお菓子を買うためにどうすればいいのか。籤付きのお菓子を買おう。外れてもお菓子は買えるから。
糸を引く飴、プッシュして出るガム、めくって当たりがわかる団子カステラ。結果にワクワクします。
でも、たいていは外れてがっかりします。紙質の悪い袋に買った駄菓子を入れて大事に抱えて帰ります。
遠足の日の菓子買いはいつもの何倍も駄菓子を買うことができます。駄菓子屋のおばさんもその日はなにがしかのお菓子をおまけに入れてくれます。
今ほど裕福な時代ではありませんでしたが、駄菓子屋の思い出は今よりもっと心豊かでした。今でも駄菓子屋を見るとつい入って何か買いたくなるのです。

COMMENT = 駄菓子の思い出はいいことばかりです。お菓子屋でいまもえびまるくんやビッグカツ、こんがりラスクを求めています。

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by きぃちゃん(福岡県)

確か小学校の四年生の頃。同級生の間で広まった噂。
『フィリックスガムの銀紙部分を押してみて、外側の紙(イラストの付いた紙)からすぐに外れるとそのガムは当たり』・・・今、冷静に考えてみるとそんなはずはないのだが、噂を信じた私と友人数名は、勇んで駄菓子屋へ。そして、フィリックスガムの前に陣取り、売り物である商品をひたすら押し始めた。
店主に叱られたのは言うまでもない。当然のことながら、ガムも当たらず。
何故そんな噂を信じたのか、信憑性の欠片もないのに。
その駄菓子屋も、今では姿を消した。子どもたちには笑い話だが、私にとっては懐かしい故郷の街が浮かんでくる想い出である。

COMMENT = こんなところがあるなんて!もっと早く知りたかったです。ショーウィンドーを見ているだけで楽しいです。作ってくれてありがとうございます。

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by ※お名前文字化け(秋田県秋田市)

子供の頃、毎日妹と駄菓子屋に通っていました。最初は10円、大きくなるごとに50円、100円と金額が増えましたが、いつでも必ず『かぎやのふがし』を1本買いました。おばちゃんが紙の袋に入れてくれて、今日は蜜の多いところから食べようか、真ん中から割って食べようか、ゆっくりと味わうのです。
クリスマスには自分で紙の箱を作り、サンタさんに『おふ』を10本下さい!と頼み、熱を出して学校を休んだ日は、母に「何を買ってきてほしい?」と聞かれれば「おふ買ってきて!」と即答。
今はあまり売っているのを見かけませんが、たまたま見つけた時は大人買いして、懐かしい思い出話をしながら子どもと一緒に食べています。
子ども達は「お母さん死んだら、棺に『おふ』も一緒に入れてあげる!」と言っています。

COMMENT = 鍵屋のふがし、販売してください。

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by NJさん(北海道札幌市)

最近の娘が駄菓子屋を初体験した話です。
いつもは自分の財布を握りしめ、近所のスーパーでお菓子を購入する3歳の娘。スーパーは平均して100円くらいなので1個しか買い満足そうに食べていました。
私が小さい頃は、100円で10円の飴やガムなど沢山の駄菓子を購入することができました。
最近は、駄菓子を見ることも少なく少し寂しく感じていました。
ある日、車で走っていると駄菓子屋専門店を発見(*^。^*)
早速、娘と店内へ。たくさんの駄菓子に娘は目をキラキラ輝かせ、いつもは持つことのない籠を持ち100円分の駄菓子を籠に入れ始めました。
「まだ買えるの?まだ?」と100円で何個も買えることに喜んでいました。また、店員さんもやさしく、娘に「自分のお金で買うの?偉いね…」と。
そんな店員さんの言葉にも喜びニコニコの娘でした。娘の喜びは私の喜びでもあります。
その日から、駄菓子が大好きになった娘。私も懐かしく、幼少のときの気持ちにかえることができました。これからも見つけた駄菓子屋さんに娘と手をつないで通います。
子供たちに駄菓子を知ってほしいですね(^_-)-☆

COMMENT = HPをみて懐かしいお菓子に感動しました。色々な種類があるので、今後子供会や運動会などの行事で購入させていただきたいと思います。

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by なりぶーさん(東京都八王子市)

メーカーも名前もわからないんですけど、10円くらいで、猫、カエルの顔の容器に水色のコーティングされたつぶつぶのラムネが入ったお菓子です。中につぶつぶのラ
ムネが入ってて、底に、色んな効果音とかが描かれてる可愛いカードが入ってるやつです。
伝わりづらくて申し訳ないです。大好きなお菓子だったので。
CARAMAIL = 購読中
OMOIDE = 家の近くに一つだけ駄菓子屋さんがあって、小学校のころ友達と100円とか1円玉10円玉大量に持ってよく行ってました。お店のすぐ外で当たり付きのお菓子開けて当たったらすぐまた交換しに行って、ってやってました。(笑)
友達とどこか遊ぶとしたらとりあえずその駄菓子屋さんにいってました。
でも小学5年生の時に駄菓子屋さんが潰れちゃって、近くに駄菓子を売ってるとこも全然ないので、本当に悲しかったです。
最近はスーパーでも駄菓子を売ってるとこもみますが、当たり付きの駄菓子は全然見ないです。あの当たり付き駄菓子の楽しさが本当に好きです。

COMMENT = 駄菓子って写真見るだけでも懐かしくて癒されます(笑) 駄菓子食べたくなりました!!

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by やんまーさん(愛知県名古屋市)

家の近くに、「かどや」という駄菓子屋があった。家と学校の次に沢山の時間居た場所だった。
かどやには、小学校の時から通っていて、その頃のあだ名が「ヤンマー」だったのだが、かどやのおばちゃんからは「ヤマー」と呼ばれていた。中学生になっても、高校生になっても「ヤマー」のままだった。
この頃から「働いたら消費税をもらうよ」と言われていた。
そして就職が決まったことを知らせると、おばちゃんは喜んで、就職祝いにと「チョコバット」をくれた。
結局就職してからも消費税は取られることもなく、「ヤマー」のまま成人になり、結婚をして夫婦でかどやへ訪れても「ヤマー」のままでした。(嫁さんにも、かどやの話が出るとヤマーと言われています)そして子供が生まれ3人でかどやへ行っても「ヤマー」と呼ばれていた。
ある日、私は母が亡くなったことを、おばちゃんに話すと三角帽子のお菓子を渡し「ヤマーのおかあさんはこれが好きだったから、これを仏壇に供えて」とお菓子をくれた。
そんなやさしいおばちゃんの店も先日閉店した。閉店の日は沢山の人が花を持って訪れた。
これもおばちゃんの人柄のおかげだと思う。母の墓参りには   ※以下文字化け


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by ※お名前文字化け(愛知県名古屋市)

今から60年ほど前のことですが、私の母親は駄菓子屋を営んでいました。
当時は駄菓子と共に景品で売る商品も多くありましたが、特にカバヤ製菓のキャラメルはキャラメルが小箱に入っていますが、その中のカードが揃うと、カバヤ文庫から10冊の文庫本がゲットできるのでした。しかし、普通は絶対出ない仕組みになっていたのです。
それは明道町で仕入れた後、箱を開けると付箋がついたキャラメルがありました。付箋にはこれは当たり券ですから適当に混ぜて販売して下さいと書いてありました。
ある日私は母親に頼み当たり券を譲って欲しいと頼んだのです。母は店の信用に関わるからと許可してくれませんでした。
しかし、それから数カ月後に私にプレゼントしてくれたのです。私はカードが揃い喜び勇んでカバヤ製菓に送りました。数日後、夢にまで見た文庫本10冊が届けられました。
私が数冊読み終えた後に、何と伊勢湾台風でわが家は壊滅的な被害を被ったのです。
浸水時には、菓子を入れた瓶がプカプカ浮かんでいたのが今でも脳裏を過ります。
もしかして、この件は企業秘密かも知れませんが、万一差しさわりがありましたらご容赦
ください。

COMMENT = 関連記事ですが、私は3児の父親時代に近所の駄菓子屋に子供たちを連れて行きました。その時のことですが、おもちゃなど籤で当てる商品がありました。そこで、私は次々と上位の景品をゲットしたのです。理由は、よく見ると外れ券と当たり券の印刷が異なり、当たりと書いた券は濃く、外れと書かれている券は薄かったのでした。今から30年も前の話ですが、当時の印刷技術は大雑把だったようです。
話は変わりますが、私は現在「伝承遊び」を広めています。そのため各地の駄菓子屋で集めたおもちゃ類を近くの小学校で紹介し遊び方を広めています。併せて、仲間達にもコンペイトーやマコロンなどの駄菓子を買って昔話をしています。
先般、店を閉められた覚王山の児島屋さんにも何度も足を運びました。
これからも昭和の時代を懐かしむと共に駄菓子を味わいたいと思っています。

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かんちぶさん(東京都)

今から二十年前。転居先の近くにあった駄菓子屋の話。
一番好きな駄菓子は、おっさんが作る梅たこせんべいだった。大きなたこせんべいを割って、年季の入った壷から梅ジャムを取り出し塗ってくれた。
20円。美味しくて大好きだった。
が、、おっさんの右手の親指の爪は滅茶苦茶長い。そしてすこぶる汚い、なんか爪の隙間が黒いものでびっしり。そして黄ばんでいた。
いつもいつも切ってほしいと思いながらたこせんべいの美味しさには勝てなくて頼んだ。
同じくふ菓子に梅ジャムで30円もあった。こちらは爪は使わない。でもなんか違う。
わたしはたこ派だった。現代の母親が見たら間違いなく絶対に食べさせないと思うが、美味しかったのだ。
今でも自分で作ってたまに食べるが、その度にあのおっさんの爪垢と黄ばんだ長い爪を思い出す。
COMMENT = あのころの駄菓子屋通いを鮮明に思い出すきっかけをありがとうございました。今はほとんど見かけなくなったじじばばの駄菓子屋。寂しいです。

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by HYさん(愛知県)

小学生時代の遠足の、楽しみはやっぱりお菓子だった。確か、500円が上限金額だったと思う。遠足の日が近づくと、みんなこぞって近所の駄菓子屋さんへ。
その店は、腰の曲がった、小柄で穏やかなおばあちゃんがやっていた。
私たちは、少しでも種類と数を多く買おうと、小さな手をつかって足し算、引き算。だから、1時間はあっという間だった。魔法のように時が過ぎる。
それでも、お店のおばあちゃんはとってもとっても優しくて、私たちがお菓子を選びきるまで、ゆったりと待っていてくれた。
じっくりお菓子を選んだら、おばあちゃんに、どさどさ渡す。
そこでもう一つ、魔法が優しくやってくる。「よおし、20円分おまけだ。好きなのを選んどいで」。
こうして私たちは、また、魔法の時間に入るのだ。
子どもだってお買い物、それに大人だって、子ども時代の心になれる。
時間の壁をつるりと超える、これが駄菓子屋さんの魅力だ。

COMMENT = 小学校時代、遠足前に友人たちと、近所の駄菓子屋さんに行くのが楽しみでした。その店は今、移転していて違う場所にあります。それでも、移転先のその店や、以前に店があった場所、それから駄菓子を見たときは、その頃を思い出し、なんだか懐かし
いような、悲しいような気持になります。

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KSさん(東京都板橋区)

子供の頃、近所の公園にそろばん塾を開くかたわら、駄菓子屋さんも経営されているご夫婦がいました。
私を含め、子供たちはみんな公園で遊びながらお菓子を食べたり、そろばん終わりにお菓子を食べたり。時には先生がお菓子を用意してくれて、大歓声があがっていました。
思い返せば私の子供時代は駄菓子漬けの日々でしたね。
母親から「駄菓子じゃなくておもちゃは欲しくないの」と聞かれ、「いらない!」と即答するような子供でした。
いろんな味、いろんな種類の中から自分の食べたいものを探しているときのワクワク感、当たり付の菓子のふたをめくる前のドキドキ感は忘れられません。
コンビニで駄菓子を買うのは気恥ずかしく、ましてや子供に混じって駄菓子屋さんに入るなんてもってのほかな年齢になってしまいました。
いや本当に、通販はありがたい!

COMMENT = 最近、ふらりと立ち寄ったゲームセンターにあったお菓子のUFOキャッチャーで駄菓子を食べ、懐かしい思い出に浸りました。駄菓子の通販では箱売りしている業者さんが多いですが、ばら売りももっと充実していってくれるといいですね!

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by KHさん(神奈川県横浜市)

アケビやサクランボ、野イチゴなどをほうばっていた幼少時代。まもなく「おやつ」の言葉とともに駄菓子を食べるようになり、野山のものは口にしなくなりました。
あれから半世紀以上経ち街を散策していると角に駄菓子屋を見つけました。確か八百屋だったはずと思い、店内を眺めおかみさんと話をしました。
店転換でした。が、期待の子どもたちは平日夕方と休日に来るだけでした。
しばらくすると店先に野菜、果物が置かれるようになりました。安く仕入れられたものだけ、という話でしたが、幼児を連れた親子、年配の主夫が買い物をし、ついでに甘いものを買っていました。
何でも屋みたいだけどね、と言っていましたが、商売上手と言ってやりました。まんざらでもない笑顔でした。
妻が留守のときなど果物を買いに私も来るようになり、ついでに駄菓子を買うようになりました。
まんまと乗せられている感じがしていますが、悪い気はしていません。

COMMENT = 懐かしさが込み上げてくるテーマでした。思わず直接入力しました。駄菓子屋に集まる子どもたちの輝く瞳を見ながら晩年のいっときを過ごしていきたいと思ってい
ます。

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by ひょっこりさん(京都府)

ニュータウンで育った私は、敷地を出たところにある駄菓子屋さんに通っていた。ぴかぴかの団地とは対照的な、ボロボロのお店。店にいるのは、買い物にきた子供をギロリと睨みつける、怖いおばあちゃんだった。
そして、もっと怖かったのが、おばあちゃんの右腕は肘から先がなかったことだ。おばあちゃんは、その丸い肘先を上手に使って、くじを切ったり、きなこ棒の容器の蓋を開けたりしていた。
ある日思い切って「おばあちゃん、何で腕ないのん」と聴くと、いつもは恐ろしい顔のおばあちゃんが、何も答えず悲しそうな顔をした。
家に帰って親から、「あのおばあちゃんは戦争で空襲にあって、腕をなくしたらしいよ」と聞かされた。
戦後の復興は進み、時代の象徴であるニュータウンの片隅で、おばあちゃんは消えない戦争の記憶とともに生きていた。
時代が変わり、高層マンションに住んでお菓子ばかり食べていた私たちを、どんな思いで見ていたのだろう。
今でもきなこ棒の味とともに、あの駄菓子屋さんの止まった時間を思い出す。

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by みんみんさん(愛知県)

私の駄菓子屋の思い出。そのお店は「とんやすい」です。
名前の由来は、問屋と安井(安い)からだと・・学校から帰ると直行。絶対に買うのが、棒ジュース(オレンジ味)カレーせんべい UFOチョコカステラ、いかげそ(もんじろう)フィリックスガムでした。
文具玩具も揃っており、ビニール縄跳び(黄色が跳びやすい)、ゴムテニスボール(柔らかくてよく弾む)がお気に入りでした。
おじさんは店の奥で作業があると少しの間だけ店番をさせてくれました。
引き出しのある小さい小箱に小銭が沢山。ぺたんこの座布団に座って「はい、10円でーす。ありがとうございましたー」
私は内気な性格でしたが、この店番が楽しくて大好きでした。
おじさんの優しい笑顔といつもあったかい大きい手のひらは、忘れません。
当時、一番大好きだった場所「とんやすい」です。

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by かめちゃん(愛知県)

昭和40年代生まれの私の隣家が、戦争でご主人を亡くされた優しいおばさんが1人で経営している駄菓子屋さんでした。
6畳もないような狭い店内に、大きな瓶に入った飴やビスケット、当たりは大きいカステラのクジなどがあり、少しの10円玉で楽しめるので夢のような空間でした。
ある日、おばさんが悲しみと怒りの入り混じった表情で、私にプロ野球選手のカードが付いたスナック菓子をくれました。「カードが欲しいだけでお菓子は捨てていくんだよ」とのこと。
たぶん私と同世代の子がやったのだと知って少なからずショックを受けた記憶があります。
少し変わった思い出として、我が家のお風呂は薪などで沸かしていたので、駄菓子屋さんで出たゴミも燃やしていたのですが、そこに紛れて、まだ開けていないクジがありました。
クジ引きのワクワク感も好きだった私は喜んで開けました。
出てきたのは男の子向けの玩具でしたが、それでもなんだか自分だけちょっといい思いをしたような気がして嬉しかったなぁと、当時をとても懐かしく感じます。

COMMENT = 今朝、偶然リンクを見つけて締め切りが今日だと知って駄菓子屋さんの思い出がいっぱいある私は応募したい!と思いました。
成人した子供が2人いて、あと数年で50歳になりますが、今でもコンビニやスーパーの駄菓子コーナーや、おまけ付きのお菓子に目が行きます。
10円玉を握りしめてお菓子を選んでいた子供時代、とても懐かしいです。10円玉って握っていると手が臭くなりませんか?(笑) そんなことも含めて、駄菓子屋さんのいい思い出です。

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今回の入賞作品はこちら
第7回駄菓子文学賞結果発表
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文学賞といっても、ここではお遊びです。気軽にお付き合いください。
もちろん、コンテスト入賞者の方々には賞品も予定していますので、賞狙いでご応募いただいてもけっこうです。これくらいなら私にも…と思われた方、締め切りまで時間はたっぷりあります。ふるってご応募ください。待ってま~す!



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