キャラメル横丁 -> 日本独楽博物館館長 藤田由仁さん

(1)日曜研究家 串間努さん (2)北名古屋市歴史民俗資料館学芸員 市橋芳則さん
(3)愛知県玩具卸共同組合 三輪高二郎さん (4)日本独楽博物館館長 藤田由仁さん

(4)日本独楽博物館館長 藤田由仁さん 

名古屋市港区の住宅街に、日本独楽博物館はあります。この名前だけを聞くと、なんだか自治体が全面支援した公共の博物館みたいなものをイメージするかもしれませんが、ここは住宅を改装した私設の博物資料館です。たくさんのコマとともに今ではなかなか見かけない駄菓子屋の店先に並んでいたおもちゃもたくさん展示してあります。案内看板もほとんどないので、地図がないと探すのもひと苦労、でも見つけた時の喜びもひとしおです。不定休なので、やっとみつけたらお休みということもあるので、どうしてもこの日に行きたい、という人は電話を事前にかけておきましょう。
 さて何故にこの博物館は不定休なのか?その謎は、コマ回し名人の館長藤田さんが全国を走り回っているからなのです。


●日本独楽博物館の誕生
 「もともと兵庫県の芦屋で1980年に資料館を建てたんですが、当時はサラリーマンでしたので転勤になって、1982年に名古屋市南区にオープンしました。その後、手狭になったこともあって現在の港区に移転オープンしたのが平成元年です。コマを集めだしたきっかけは、1970年ごろ、九州を旅行したとき、変わったコマがあって、変わったかたちのものがあるなあ、と思ってそれから全国にもわりといろいろあるのを知って、集めてみようかなと思ったんです。現在、博物館には日本各地と世界50数カ国から集めたコマ2万点と、昭和初期から40年ごろまでの駄菓子屋おもちゃが2万点、世界各地の手作りおもちゃが約500点、展示してあります」

●駄菓子屋おもちゃへのこだわり
 「コマは芦屋のころから集めていましたが、ほかの駄菓子屋のおもちゃを集めだしたのは名古屋に来てからです。以前はコマにしか興味がなかったですから、問屋にいっぱいあった今ではのどから手が出るようなおもちゃも、見向きもしなかったんです。ところが結果的に何千点、何万点とコマを集めてみても、子供のころに実際遊んだことがあるコマは少ないんですね。反対におもちゃは、いろいろな種類があっても、ほとんど子供のころの記憶に残っているんです、不思議に。材質は変わってもかたちはほとんど同じですから。それでやっぱりおもちゃのほうが面白くなって集めだしたんですよ。問屋さんに行くようになるのはずっと後の方で、初めてそういうおもちゃを買ったのは大須の名物屋さんですよ。あそこなんて、今は古いものは1個もないですけど、当時は在庫で古いものを売っていました。その後、全国の問屋さんを回るようになりました。でも高値が付きはじめていたので、ほとんど商売人が引き揚げた後。3年前にはあったとか、もう1週間前に来たらあったとかそんなことばかりです。何軒か古い店から買えたこともありますが、ほとんどは骨董市のようなところで見つけています。銀玉鉄砲は、国内での製造は終わったらしいですが、香港のカタログでは売ってます。海外の安い人件費でないと作れなくなったんですね。エアガンなど高いおもちゃでも今の子供は買えますから、商売の法則でより高い商品を買わせるということから、駄菓子屋の銀玉鉄砲は売れなくなってしまったんでしょう。
 奥にはおもちゃを販売するスペースもありますが、販売を目的としてはやってなくて、子供たちに遊びを教えるのに品物がなかったら困るからという程度のことで揃えています。ヨーヨーやコマなど何か伝承遊びのおもちゃが流行すると、近くの子供たちが集まって遊び方を聞きに来ますね。

おもちゃの鉄砲

日本全国におもちゃを探しに行くんですが、ほとんどは学校の前の店を手始めに探すんですよ。昔は駄菓子屋といえば学校の前でしたから。いくらかは残ってますけど、今ではスーパーみたいになってる中に駄菓子屋があるといったところが多いですね。昔はおもちゃ屋やお菓子屋といった専門店に行ける子供は少なかったんです。普通の子供たちは駄菓子屋で売っているおもちゃ、いわゆるチープ玩具で遊んだんです。僕は駄菓子屋さんで売っていた安いおもちゃしか集めないんですよ。

手前は戦時中のガラスべーごま
それはなぜかというと、自分のお金、おこづかいなりお年玉を集めたもので、少なくとも自分のポケットにいったん入ったお金が出ていくとなると、子供たちは身が痛むわけです。そうすると、たかが10円のものを買うにしても、選ぶのには10分、20分、30分、1時間と決まらない。今の子供のおもちゃの流通というのは、テレビなどで宣伝をしているから、「アレが欲しい」という目的からいってるわけですね。ほとんどは高いものだから一生懸命貯めたお金で買うことを除けば、親に買ってもらうか、おばあちゃんおじいちゃんに買ってもらうかそういうかたちなので身が痛んでないし、仕掛けられた流行を追っかけてるから飽きるのも早いんです。自分の身が痛んでないから大切にもしないし。ところが自分のお金で買ったおもちゃは、自分の身が痛んでいるからものすごく大事にするんです。選ぶにも時間がかかるし、親から見たらゴミみたいなものでも宝物になるんです。
それがきっと駄菓子屋文化のいいところでしょう。もっと大きな言い方をすると、自己責任において買っているから、他人に転嫁しない。そういう子供の時の経験があると大人になっても、そのルールが身に付いた人はうまくいくんです。今のものがすべて悪いわけではないし、今のもののいいところもあるんだけど、駄菓子屋は子供たちの人格形成によかったと思いますね」

●コマのパフォーマンス
「現在ではサラリーマンを辞めて、コマやおもちゃ集めと並行して、伝承遊びの普及活動が仕事になったというか、パフォーマンスで全国に出かけています。でもただ芸を見せてるという気はなくて、普通の方は大道芸ですから芸なんですけど、僕は見た結果、みんながやってみたいなという状態をやっているので、子供に遊ばせるパフォーマンスなんです。ケン玉もヨーヨーもお手玉も、要するにちょっと“ワザモノ”の子供遊び。本や絵で見ただけではわからない伝承遊びの中の“ワザモノ”だけをやっているんです。パフォーマンスをやった後、教室をしています。名古屋には子育てに熱心なお母さんが各地で集まってネットワークを作っていますので、そこへ講習に行くことも多いですね。また年間で全国300以上呼ばれてやっています。これからの予定では、名古屋市科学館や、岡崎、11月1日から20日までは宮崎県の都城、ほかにも大阪、静岡県引佐町のフェスティバルなど全国でパフォーマンスを披露します。12月23日には湖西市のたぶん神社で世界の伝承遊びを集めたイベントを行う予定です」

駄菓子屋の紙ものおもちゃ

●藤田さんの子供教育法
 「今の子供って心が病んでいるじゃないですか。まあそういった社会を作ってしまったのは僕らの責任ですから、少しでも解消したいと思ってコマのパフォーマンスを始めたんです。今の子供の気持ちはまだよくわからないんですけど、自分自身が生きてきて今、楽しいんです。人生が面白くて楽しくてしょうがないんですよ。それをつらつら思ってみると、自分がやりたいと思うことをやってみるということと、やった後の責任は自分でとり、他人のせいにしない、というこの2つがあれば世の中おもしろくてしょうがないんですよ。それを今の子供たちにも身に付けさせたいと思ったわけです。今の受験戦争は、覚えることのみに価値を見い出してしまって、試験にヤマが出なかったらもうあかん、という結果責任を追及する社会になってしまっているんです。だから子供たちは、一生懸命勉強をするけれども、やってみてできなかったらかっこ悪いとか、怒られるので、一歩踏み出す勇気が無くなっているんです。教え方が悪いとか、なんでここまで努力しなければいけないとか受け身の考え方ばかりなんです。やるまでは根性が必要とわかっているんですが、実際行動をおこしだした時に、いつも根性を出さなければいけない、と思い続けていたら終いにはキレるんです。ところがコマ教室の場合で言うと、小学校4、5年の子がひもひとつ巻けなくて、最後には涙を流しているわけですよ。僕はコマのパフォーマンスをやって見せた後、1時間ほどコマで子供たちを遊ばせるんです。ちっちゃい子はすぐ教えて、教えてと来ます。でも年長の子はできなくても、教えてというのがかっこわるいと思うので寄って来ないで陰でやっているんです。で、あと5分だというとできなくて泣いているわけです。でも、これで言えることは、1時間もできないことを続けているということが今あるかどうかということです。本当はもっとすぐなげてしまってもよさそうなのに、なぜ続くか。もうひとつは、泣いてるんですが、できなくてくやしいから泣いているのであって、やらされていて悲しいというわけではないんです。それは何かと言ったら、僕がそういうみんながやりたいなぁ、という状態を作ってしまうと、横から見たらその子は1時間も努力と根性でやっているわけです。ところが本人たちは努力や根性、忍耐をしているとは思ってない。これを子供の時に身に付けると、社会に出ていろいろな重圧などがあっても、自分でやりたいからと思っていれば苦しいことは無くなるんですよ。遊びだったらできなくてもどうということもない、できたらみんなからワ〜と言ってもらえるくらいのことです。それでこの遊びを含めたコマのパフォーマンスをやりだしたんです。

 駄菓子屋の文化と一緒で、自分で物を選んだりとか、自分でコマの技をやってみるとか、特に伝承遊びの中で“ワザモノ”をやっているというのには意味があります。なかなかできなくて泣いている子に対して、世の中はできないからおもしろいんだと、簡単にできてしまったら飽きるのも早いと、お母さんや先生はちっとも僕の言うことをわかってくれない、上司はちっとも理解しない、だからおもしろいということを子供の時に身に付けることができたら、キレなくて済むわけですよ。あのおっさんをどうしてひっくり返してやろう、というのがおもしろいんだから。この世の中をどう変えてやろうかだとか、お父さんをどうへこましてやろうかとか、それをおもしろいと感じると、現象としては苦しんでいても、本当に苦しいことではないわけです。遊びがちょっとだけできた時の達成感ってあるじゃないですか。そうしたら胸が張れるじゃないですか。胸張ったらいじめられません。おどおどしてるからいじめられるんです。だからひとつは収集というオタク的な部分があるのと、それだけで終わりたくなかったからこういうパフォーマンスもすることになったんです。


●子供の自己責任
 「よく「この頃の子供は…」なんて言いますが、僕からすれば「この頃の大人は…」なんですね。子供たちのいい芽を摘んでしまっているんです。演芸の世界は、弟子入りしなくちゃいけないですが、ジャグリングのような練習を必要とする“ワザモノ”は、どれだけでもうまい子供がいます。本当にやったら、吸収力のいい子供にはかないませんよ。ちょうど今の親が子供の頃は、高度経済成長時代で駄菓子屋がなくなっていく頃です。この頃は、時間を使って覚えていく遊びよりも、どんどんテレビで安易なおもちゃを与えられていたんですよ。だから子供が異様なかたちのべーゴマがほしいと言っても、当のお母さんができないから「あんたにはできないよ」と言ってしまうんです。僕らの子供の時代は、いいかどうかはわからないですが、勉強ができる子だけが偉いんじゃなくて、走らせたら一番早いぞとか、ヘビがつかめるぞ、というお互いが認めるところがあったんですが、今は勉強ができていじめられる子っているじゃないですか。

怪しい図柄のメンコカード
 でもその子は一生懸命努力をしたから勉強ができるようになったんですから、胸を張ったらいいんですよ。なのに言われてしょぼんとしてしまうからいじめられるわけで、勉強も仕事も遊びも一緒なんですよね。要は自信なんですよ。コマで子供たちと遊んでいるときに、「おまえ、巻き方100点や」と言うと、後で親が書く感想文の中には、「引っ込み思案なウチの子が、100点と言われてから毎日、みんなの前にコマを持っていってなんでも積極的にやるようになりました」、って書いてあるんですね。それだけでいいんです。コマ回しができることじゃなくて、それを媒介にして大人と子供が付き合うために道具があるわけで、勉強も仕事も一緒で世の中を楽しく生きていくための手段ですから。
 僕はコンピュータなんかも少しやってますが、わけわからないんですよ。でもコンピュータができなかったら世の中を渡っていけない社会がすぐ前に来てるわけです。だからコンピュータゲームはあかんと言いますが、あれも大事なことなんです。社会はどんどん変わるけれども、基本的に変わらないという気持ちを持っていたら、おれには合わんなとか、くそ、負けんでやってやろうか、ということ自体がおもしろいんであって、それがあかんからって卑屈になる必要はないんです。大事なことは、あえて言えば駄菓子屋文化であり、怒ってくれるおじさんがいたことですね。今では他人の子供を叱ると、ウチの子に何をするんですか、と言われてしまうし、知らないおじさんに近づくと誘拐されてしまう時代でもありますが…」


●ベーゴマの地域性
 「名古屋にはべーゴマはなかったんです。もちろん流通の問題もあるんですけど、名古屋はメンコなど紙ものの生産が多かったんです。べーゴマのかわりとしては、鋳物の産地だからオール鋳物の鉄ゴマがありました。岐阜に行くと木のコマもあったんですが。名古屋では木のコマは軟弱というイメージで、おちょこみたいなかたちの鉄ゴマだったんです。ひもを巻くのが難しいべーゴマは、少しはあったかもしれないけれど、流行らなかったんでしょう。べーゴマと鉄ゴマでは遊び方は本来違うものなんですが、先に鉄ゴマがあったので、軟弱なイメージもあってべーゴマは普及しなかったんですね。
 べーゴマは江戸時代からあって、バイ貝という貝を削って作ったコマで、関西では鉄になってからでも「バイ」と呼ばれています。バイがなまってベーゴマになったんですね。江戸の人も貝で作ったコマの中でどこで採れた貝がよかったか、という話の中で紀州熊野灘の貝がよかったと書いてある文献がありますから、昔からそういう流通があったということでしょう。大正時代の始めくらいから鉄のベーゴマが出始めました。駄菓子屋で最初にプラスチックのコマが出たころは、まだ珍しくて、中におまけのお菓子が入っていたりしました。プラスチックのおもちゃが普及したのはだいぶ後のことです」
(取材日 2000.10.1)


【日本独楽(こま)博物館】
◎〒455-0047  地図
 愛知県名古屋市港区中之島通4の7の2
◎電話番号 052-661-3671
◎開館時間 午前10時〜午後5時 不定休
◎入館料  無料

◎Web http://www.wa.commufa.jp/~koma/

※写真は取材時の旧館です

ここの膨大なコレクションは、一度足を運んでみないと実感できません。え、こんなものが?という懐かしい駄菓子屋おもちゃが雑然と、まさに当時の駄菓子屋の店内の風景とだぶりながら目の前に繰り広げられます。夢のない人にはそれはゴミのようなものに見えてしまうかもしれませんが、心の豊かな人には、子供の頃の宝箱をひっくりかえしたような気分を味わえるでしょう。今日も藤田さんは、どこかの町でコマのパフォーマンスを披露しているかもしれません。日本独楽博物館には、副館長の奥さんがいます。

(1)日曜研究家 串間努さん (2)北名古屋市歴史民俗資料館学芸員 市橋芳則さん
(3)愛知県玩具卸共同組合 三輪高二郎さん (4)日本独楽博物館館長 藤田由仁さん


キャラメル横丁 -> 日本独楽博物館館長 藤田由仁さん


横丁
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