マボロシの駄菓子 

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駄菓子の歴史の中で、原材料の減少、衛生法の強化、流行の変遷など様々な理由でなくなっていった駄菓子。
数少ない証言や資料をもとに、昭和史の風俗を覗き見たい。

その1 ギュウヒってなんだろう? その2 ニッキ貝って知ってる?
その3-2 謎が謎めくどりこ飴?続報 その4 養老サイダーの真実

★その3-1 謎が謎めく どりこ飴★

【事の発端】
マルホの堀田社長のところにある日、70代くらいの老婦人から電話が入った。それは「どりこ飴ってありませんか?」という問合せ。はて、堀田社長は“どりこ飴”という名前自体、知らない。そこで今回の調査が始まった。
【考察】
どりこ飴という名前の響きに何か聞き慣れたものを感じる。そういえば、昔、アーケードゲーム機の景品にゼリコ飴というのがあったような…。ゼリコといえば…グリコ!これは江崎グリコと関係があるのでは?

【証言1】
名古屋で駄菓子のきびだんごを製造している見田製菓の会長さんが、昔どりこ飴を食べたことがある、ということで詳細を伺ってみた。

「どりこ飴は短冊型でちょうどウチのきびだんごくらいの飴です。ウチでは作っていなかったんですが、新道(名古屋市西区)にあった菓子問屋の田藤さんの先代が作ってました。終戦の頃にはあったかなぁ。田藤さんとは在所が近くということもあって交流が深かったんですよ。どりこ飴は名古屋で4軒くらいが作っていました。一時はブームですごく売れてましたね。どりこ飴は、普通の飴のように炊いてそれをひき飴にしたんです。ヌガーが全部ひいた飴とすると、どりこ飴は半ひきの飴です。飴はひくことによって空気が入って白くなり柔らかくなっていくんです。その半ひき飴を平たく伸ばして裁断したのが製品になったどりこ飴です。だから味は普通の飴の味だったでしょうな。そこに香料などが入っていたかもしれませんがそこまではわかりません。今でもどうしてどりこ飴という名前を付けたのかはわかりませんねぇ。ろう紙でひねって包んであった。千歳飴や金太郎飴のような感覚のものです。もしくはミルキーを平べったくしたようなものでしょうか。カルビーがかっぱえびせんを作る前にミルキーのような飴を作ってましたね。その飴が売れなかったんでえびせんに変えてヒットしたんですよ。どりこ飴はけっこう甘ったるい飴だったんで、甘さを抑えた最近の嗜好には向いていないお菓子でしょうね。」


【証言2】
どりこ飴を作ったことがあるという名古屋食玩工業組合理事長の大石さんから話を聞くことができた。

「大阪に“どりこの”という会社があってね。“どりこの飴”というのが正式名称だよ、たしか。そんな小さな会社じゃないですよ。グリコがどりこの飴を作っていたはずだから。砂糖が統制をはずれたのが昭和26年、それで砂糖が使えるようになって作るようになったのがどりこの飴だった。あの当時のサッカリンなどの人工甘味料ではできなくて、やっぱり水飴でも砂糖でも本物を使わないとできなかったのかな。流行ったのは 昭和30年代前半頃かなぁ。砂糖と水飴、それに香料でできていたね。ミルキーみたいな飴だけど、ミルクは入ってない。飴を伸ばしたひき飴ですよ。柱に棒をつけて飴をひっかけて伸ばすんですね。すると空気が入って白くなる。後の工程はキャラメルの機械と一緒でカッターで短冊状に切るんです。たんきり飴と同じようなものですな。グリコが作っていたのは戦前の頃のはずだよ。どりこの飴は夏になるとベタベタになってしまうのでオブラートに包んだりしたんだけど、溶けるので売れなくなっていった。そこでウチはどりこの飴をやめてニッキ紙に移行したんです。どりこの飴は長さが15センチ、幅は約2センチ、厚みは5ミリくらいで、キャラメルを薄く伸ばしたみたいなもので、舌でねぶるくらいのものですよ。くじ中心でバラ売りはあまりしていなかった。いろいろなサイズのどりこの飴があって、1回1円でひいたね。大阪発祥というよりは栄生(名古屋市西区)の今は亡き島本製菓が作っていたね。」


【証言3】
グリコで作っていたというのは本当なのだろうか?さっそく江崎グリコ本社広報部に問合せてみた。

「『どりこ飴は、江崎グリコの製品であったかどうか』のお問い合わせをいただきましたので、社史資料室に確認しましたが、当社の製品ではありませんでした。どこのメーカーの製品であるかがわかれば、メーカー名をお知らせしようと関連の資料も調べてみましたが、残念ながら判明しませんでした。」という内容のファックスで回答が届いた。どうもグリコとどりこは直接関係ないようだ。


証言4】
『キャラメルな人たち』でも紹介している日曜研究家の串間さんから直接メールと電話を頂いた。その情報がまたまた90度違うのである。東京の葛飾柴又、寅さんで有名な帝釈天の参道の店でどりこ飴は現在も売っているとか。ただし、ここからがさっぱり違って、かたちは棒に丸くヌガー状のものをつけた様子で、きなこがまぶしてある。どりこ飴だったか、どりこ製菓のきなこ飴だったかはあまり判別しない。とにかくきなこ味。一方、“どりこの”というのはまた別にあり、戦前、講談社(あの出版社の講談社が多角経営をしていた頃)から出ていた滋養飲料の名前だとか。透明のびんに入っていて非常に甘いもので、もともと世田谷に住んでいた高橋考次郎博士が考案した飲み物で、現在も世田谷にはその名にあやかった“どりこの坂”や“どりこの公園”があるらしい。



【結論】
というわけで、どりこ飴(どりこの飴?)が結局何なのか、わかったようでわからない。そこでこう考えてはどうだろう。どりこというメーカーはどうやらあるらしい。そのメーカーがどりこ飴ないしどりこの飴と名乗るのは理解できる。しかし数社でその飴を作っていたとなると、単一メーカーの商品名ではないということだろう。そして“どりこの”という甘い飲料。これがクセモノ。例えばそのどりこのを香料替わりに使った飴、ないしどりこののように甘い飴といって作られた飴がどりこ飴。そしてその製法が徒弟制度などによって広まり、ある所では短冊型に、ある所では棒付きキャンデー状に発展していった。当初のどりこの味はいつしか甘い味程度の意味になり、ある種の材料でひき飴のかたちとして作った飴の総称がどりこ飴になっていった。

 江崎グリコの創業と滋養菓子グリコ(キャラメル)の発売は大正11年。その後グリコは昭和17年に統制下で製造中止になり、戦後昭和22年に生産復活している。不二家のミルキーが発売されたのは昭和27年。さらに昭和29年には鈴木栄光堂からゼリコが発売。つまり昭和26年から30年代前半という時期には、ミルキー味のお菓子、グリコにゼリコが全部あるのだ。グリコのような飴→グリコの飴→どりこの飴→どりこ飴という言葉の変遷も想像できるかもしれない。現在ほど登録商標や特許、版権がうるさくなかった頃、亜流のお菓子は多数存在したことだろう。ましてや駄菓子の業界は流通販路が大手メーカーとは違い、新作菓子を作ることが容易だったのかもしれない。まさしくマボロシの駄菓子にふさわしいどりこ飴。次の課題は帝釈天の店を探すことなんだけど…、出張費がないので断念。東京在住の方、いましたら続報お待ちしてます。



その3-2 謎が謎めくどりこ飴?続報



その1 ギュウヒってなんだろう? その2 ニッキ貝って知ってる?
その4 養老サイダーの真実



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