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【養老サイダーの歴史】
江戸末期、大垣藩にみそ・しょうゆを納めていた日比野きぬは、藩主から神戸の異人が香りのある珍しい飲み物をつくっているという話を耳にしました。これからの時代を生き抜くためには、何か新しいものに挑戦する必要があると感じていたきぬは、早速、藩主の紹介状を手に、息子の寅吉を神戸に行かせたのです。異人がもたらした珍しい飲み物に未来を託そうと、はるばる神戸まで出掛けた寅吉が、オランダ人から製法を学んだのがニッキ水、ハッカ水とミカン水でした。
この香りのある飲み物を売り出したのは明治初年、当時の人々に大きな驚きを与え、評判となりました。それがラムネへとつながり、ついにはサイダーの誕生となるのです。明治23年、日比野鉱泉所として創業、明治30年前後に最初のサイダーは伊吹サイダーの名で売り出され、またまた人々に驚嘆をもって迎え入れられたのです。
その後、体を悪くした寅吉は養生先の養老の水の良さに目をつけます。そして、養老に工場を建設し、明治33年に名前を養老サイダーと改めます。
養老サイダーは明治から戦前まで多くの博覧会に出品され、数々の賞に輝きました。さらに、戦時中には軍用として戦地へ次々に送られていったということです。
おいしさの秘けつは、環境庁の名水百選に選ばれた養老公園の湧き水、菊水泉の水を使っていること。「軟水で、しかも微量な炭酸が含まれている最高の水。これに純度の高いグラニュー糖のさっぱりした甘みを加え、シャンパンの味を目指した」そうです。
この養老サイダーを生産していた養老サイダー株式会社は、2000年12月で生産終了、養老サイダーの歴史に幕が下ろされました。
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