キャラメル横丁 -> 北名古屋市(旧・師勝町)歴史民俗資料館 企画展 -> エッセイ「駄菓子屋さんの○△□」

駄菓子エッセイ
師勝町歴史民俗資料館 学芸員 市橋芳則
《○-1》〜《○-6》   《○-7》〜《○-11》

《○-1》

 駄菓子屋さんで○ものを思い出してみよう。ボール、ビー玉、ビー玉より2まわり程大きいスマートボールの白い玉、あめ玉、輪なげの輪、おはじき、ペコちゃんのホーロー看板、夕焼け色の太陽、はだか電球のほのかなあかり。
 なかでも、古手のビー玉には特に郷愁を感じることができる。同じビー玉でも、現行のビー玉にはない、味わいがそこにある。最近のビー玉も、透明や半透明などのガラスでできていることには変りはないが、よくできている。できすぎかもしれない。郷愁という点では。
 資料館に持ち込まれる様々な資料のなかに、時折、戦前のビー玉が混ざっていることがある。このビー玉には、ひとつひとつの顔がある。何でもいい、光源にかざしてみると、その意味がわかる。
 そのビー玉には、球という形を完全に満たしていないものや、そのなかに内包されている気泡の大きさ、数、入り方、さらには、表面も含めて製造時のキズ。それらが百様の顔を作っている。
 ツルッとした完璧なビー玉には無い古手のビー玉の凸凹感も楽しいものである。つい時間を忘れて見入ってしまう。


《○-2》

 駄菓子屋さんで○ものを思い出してみよう。ボール、ビー玉、ビー玉より2まわり程大きいスマートボールの白い玉、あめ玉、輪なげの輪、おはじき、ペコちゃんのホーロー看板、夕焼け色の太陽、はだか電球のほのかなあかり。
 スマートボールの白い玉。私自身、スマートボールで遊んだ記憶はない。しかし、なぜか、私の子どもの頃、引き出しのなかに、白い直径2cmくらいの玉が大事そうに入っていた。なんに使われるものか知ることもなく、なぜか、大事にしていた。
 この白い玉が、スマートボールの玉であることを知ったのは、ほんの少し前、平成7年のことである。岐阜県恵那市の文房具店が、店を壊すということで資料を受け取った時のことである。スマートボールの遊戯台とともに、同じ白い玉が100個程入った木箱を渡された時である。スマートボールの木製の台は、色あせていても、白い玉の輝きは、当時のままである。
 もう一世代若くなると、スマートボールよりは、台の両端のボタンをおしてバーで玉を打ち返す、ピンボールだろう。ピンボールの玉は、金属製で大きさは同じくらいだが、玉のもつ懐かしい味わいは、大きく異なる。


《○-3》

 駄菓子屋さんで○ものを思い出してみよう。ボール、ビー玉、ビー玉より2まわり程大きいスマートボールの白い玉、あめ玉、輪なげの輪、おはじき、ペコちゃんのホーロー看板、夕焼け色の太陽、はだか電球のほのかなあかり。
 駄菓子屋さんの店頭には、様々な看板が掲げられていた。駄菓子屋さんだけではなく、町中の店先や塀などに建物や塀の色とはまったく異なり、ひときわ目立つことを意識した色使いであった。
 昭和40年頃まで、そのほとんどがホーロー製で、俗にホーロー看板と呼ばれるものである。ホーローの鍋と同じく、鉄の腐食を防ぐため表面にホーロー加工したものである。
 駄菓子屋さんで、目立ったであろう看板に赤地に舌をだしたペコちゃんが描かれている丸い看板がある。良く知られた不二家の宣伝キャラクターである。裏面には、ポコちゃんが描かれたものも。
 最近、不二家のミルキー誕生50周年を記念して、昭和26年(1951)、発売当時のパッケージが復刻された。ミルキーの箱に手提げのモールが付き、ペコちゃんの目玉が動くものである。
 今の子どもたちには、ちょっとびっくりするようなパッケージであるが、当時、ミルキーの甘さを懐かしく思う世代には、つい手を伸ばして買ってしましそうな商品である。


《○-4》

 駄菓子屋さんで○ものを思い出してみよう。ボール、ビー玉、ビー玉より2まわり程大きいスマートボールの白い玉、あめ玉、輪なげの輪、おはじき、ペコちゃんのホーロー看板、夕焼け色の太陽、はだか電球のほのかなあかり。
 駄菓子屋さんの照明といえば、裸電球がイメージされる。昭和30年頃になると、家庭のなかにも直管の蛍光灯が使われるようになり、部屋の隅々までこうこうと照らし出したが、駄菓子屋さんでは後々まで、裸電球か、かさを付けた電球が用いられた。天井から茶色や黒色の布巻きのコードが垂れ下がり、黒いソケットに透明の電球が、オレンジ色の暖かい光りを放っていた。
 こうしたソケットには、電球を1つだけ付けるものと2又、3又になっているものがある。常夜燈として小さな電球を添える形のものもよく使われた。
 このソケットですこぶる便利なのは、電球の口金を指込む部分に、口金のついたコンセントを付けることで、このソケットから電源をとれるようになることである。
 店内も電球だったが、店の外の電信柱の街路灯も電球で、今のように道全体を照らし出すことはなく、ぼんやりとしていた。
 最近では、蛍光灯にも電球色のものがあり、取り替えると何となくノスタルジックな照明に早変わりする。


《○-5》

 駄菓子屋さんで○ものを思い出してみよう。ボール、ビー玉、ビー玉より2まわり程大きいスマートボールの白い玉、あめ玉、輪なげの輪、おはじき、ペコちゃんのホーロー看板、夕焼け色の太陽、はだか電球のほのかなあかり。そして、こま。
 こま・べーごま幼い頃、友だちのなかに一人は独楽の達人とも呼べる少年がいた。指先で回す小さな独楽は誰でも回すことができたが、紐を使って思いっきりよく投げるようにして回す独楽は技術が必要だった。掌で受け止めて、自慢げに見せてくれる様子は実にうらやましく思えた。
 最近、子どもたちのあいだで、再び独楽が大流行している。今はやっている独楽は、「独楽」と表現するより「コマ」だろうか。その名はベイブレード。画期的なおもちゃである。回すことに高等な技術はまったく必要としない。シューターと呼ばれるプラスチック製の装置にセットして、備えてあるひもを思いっきり引けば、コマが回転し落下するというものである。
 遊び方は、懐かしいベーゴマと同じで、相手と戦わせ、長く回っていたほうが勝ちというものである。
 昔のように、勝てば相手のコマをもらえるという形ではないが、友だち同士でコマの種類や性能を競い、なんとかして勝とうという点では共通するところがある。懐かしい物が形を変え現代に受け継がれている。


《○-6》
 駄菓子屋さんで○ものを思い出してみよう。ボール、ビー玉、ビー玉より2まわり程大きいスマートボールの白い玉、あめ玉、輪なげの輪、おはじき、ペコちゃんのホーロー看板、夕焼け色の太陽、はだか電球のほのかなあかり。そして、夏にはかき氷。◯というよりは、朝顔の花。
 駄菓子屋さんの夏といえば、かき氷。
 鋳造品で重く、堅牢な「かき氷機」「氷削機」で作られるかき氷は、一味違う。横につけられたハンドルを回すと歯車により氷がクルクルと回転し、かき氷ができるというもので、右手でハンドルを回し、左手にガラスの器を持って、器のなかに山を築くように盛り付けていくのは、業である。
 駄菓子屋さんでは、店の入り口近くに、かき氷を販売するコーナーが設けられ、このかき氷機を中心にセンジ入れの壺や、ガラス製の器などが置かれていた。氷は、製氷屋さんが毎日配達してくる。籾がらで覆って解けないようにしていた。朝顔型にひらいた浅いガラスの器で食べるかき氷が美味しかった。
 最近では、夜店でスノーボールという紙製のカップに名のとおりボール状のかき氷を乗せたものが流行っている。(続く)


 《○-7》〜《○-11》

《市橋芳則さん》
師勝町歴史民俗資料館学芸員。昭和63年に師勝町の職員になると同時に資料館建設の準備に携わり、平成2年の開館以来、資料館の企画・運営・管理をご担当されています。

資料提供・問い合わせ先;北名古屋市(旧・師勝町)歴史民俗資料館 昭和日常博物館
〒481‐858 愛知県北名古屋市熊之庄御榊53  TEL 0568-25-3600



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