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(1)あそびっ子
昭和三十一年ごろの名古屋での主要な交通機関といえば路面電車であった。縦横に敷設してあったが、電車から電車へ移行する手段は殆どのひとが歩いていた。自転車も勿論あったが、商用自転車が主だったようだ。大きな荷物をリヤカーに載せ自転車に連結して走っている姿を覚えている。自動車が一般に普及しだしたのは4、5年も先のことだった。
現在のように道という道に車が入ってくるということはなかったので、脇の道で遊ぶ子供達の姿をよく目にしたものだ。子供達が道で蹲っていても腹ばっていてもたまに自転車が通るぐらいで、たいして邪魔にもならなかった。
そして、子供が群れているところでは道路あそびとでもいう「あそびかた」があって、ひとつのあそびかたが流行ると風疹のようにあっちの町筋でもこっちの町筋でも同じあそびがなされていた。
究極の遊びっ子であったわたしは、学校から帰ってくるとすぐにカバンを放りだしては近所の町筋に遊びに飛び出した、遊びを捜して、あっちこっちの町筋をトンボのようにさまよったものだ。あの頃、どんな遊びがあったのか、つたない記憶をたどってみようとおもう。
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(2)メンコ
わたしの育った、大須界隈では「メンコ」とはいわず「しょうや」といった。どんな文字をあてるのかは知らないが「メンコ」が丸ぱんの絵札であるにたいして「しょうや」は角ぱんの絵札である。
遊び方の「基本」はたぶん同じだろうとおもうが、札を手に持って勢いよく地に叩きつけ、風力をおこして地に置いてあった札をひっくり返すあの遊び方だ。バリエーションとそれにともなうルールがいろいろあって、そこのところは、地方、地域によって違っているのだろう。
子供たちはこの「しょうや札」を裏通りで小さく営む、駄菓子屋さんで買っていた。そこには大概叔母さんがいて(どういう訳だか大須界隈では後家さんが多かった)麩菓子とかニッキとか寒天菓子とかクジつきおもちゃとかを売っていた。お好み焼きなども焼いていて、いわば子供たちの社交場であった。
「しょうや札」が流行り出すと、店の目立つ場所にごっそり沢山並べられてあった。
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(3)メンコ(しょうや)の続き
大須あたりでは、単にひっくり返すゲーム名を子供達は「あぶち」と呼んでいた。「もんしゅう」と云う聞きなれない呼称のゲームルールもあった(面白い呼び名をつけるもんだ)10枚、20枚、ときには100枚もの札を出し合い、山に積んで置く。交代で手札を「あぶって」(叩きつけて)札の山の中から、二枚の札を離れさせ、なお、その二枚の札を裏と表にして、交差させると出し合った全部の札が貰えるという、かなりバクチ的で技術も要求される高度なゲームだった。大きな勝負が始まると周りの子供らがみな寄ってきて興奮して観戦した。
同じようなコンセプトのゲームで「抜き」と呼んでいる遊び方もあった。これは、互いに出し合い、山にするまでは一緒だが、手札の扱い方が違う。札を「あぶつ」のではなく、側面や角が当たるように札を飛ばし、山をつき崩して、あらかじめ決めておいた鬼札を単独に抜き出せば勝ちである。
他にも色々考えだされてあったが、このふたつが特に人気のある遊び方であった。子供らに得手不得手があって、わたしはどちらかというと「抜き」のほうが得意だったと記憶している。
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(4)メンコ(しょうや)の続き
一挙に札もちになったり、手札一枚の丸裸になったりの天国と地獄を子供ごころ味わった。女の子達はこの遊びには加わらず、ゴムかけやお手玉、ささら返し、さいころ取りといった手技のあそびをもっぱらしていた。男女が共にあそぶということは町筋ではあまりしなかったが、かくれんぼにひとつあじつけをした「カン蹴り」というあそびを共にしたようだ。
ビー玉
関東方面で呼ばれるビー玉もビー玉とはいわず「かっちん玉」と云っていた。三種類ほどの遊び方を覚えている。ひとつは単純に手玉のあてっこである。只、足の縦幅以下に玉どうしが近寄ると、寄せられた「がわ」の子が手玉を取ってまっすぐに立ち、目の位置から玉を落として相手の玉にあてるという特別ルールが付加されていた。もちろんあたればその玉はあてた子のモノである。
あと、土の地面に四角い枠を描いておき、5個、10個と玉を出し合って、描いた枠に入れておく。交互に手玉を投げて枠の中の玉をはじき出す。はじきだした玉は貰いだ。もし、手玉が枠内に止まったりしたら悲劇になる。相手の総取りになってしまうからだ。
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(5)かっちん玉
あとひとつはパチンコと呼んでいた「かっちん玉」ゲームがあった。
あの鉄玉をはじくパチンコからヒントを得て誰かが考えだしたのだろう。これは、地面に杯ほどの穴をランダムにいくつか開けておき、玉を親指と人差し指で挟んでおいて、穴の中へ順番に「すべり飛ばす」というゲームだった。結構集中して流行ったがいっときのものだったようだ。
コマ
わたしは関東の方がよく言われる「ベーゴマ」というコマあそびは見たこともやったこともない。大須界隈で流行っていたコマは鉄鋳物か真鍮鋳物で作られていたコマであった。わたし達は真鍮のコマが気にいっていた。
心棒が別誂えで差し込まれてあり先が尖らされてあった。コマ紐をぐるぐる巻いてから勢いよく戻し伸ばして廻すいわゆるコマまわしなのだが、紐が伸びきる手前で引き戻して、手に乗せたり、何かの蓋に受けてまわし、鬼ごっこなどをした。どれだけ小さな物に受けて廻せるか技を競いあったりもした。
どんな世界でも名人と呼べる子供がいるもので、町筋の子供連のなかにも噂になるほどのコマ名人がいた。わたしより二つ年上の「まさ」と呼ばれる子供だった。弟がいて、彼は「しげぞう」と呼ばれていた。「しげぞう」はわたしと同級で、うまのあう遊び友達だった。(続く)
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