
| 松山製菓(株) 名古屋市中村区大秋町1-101 |
![]() | 今回は、「スカットコーラ」、「ネオフルーツC」、「パンチコーラSP」、またスナック菓子の「テキサスコーン」などを製造している松山製菓をお訪ねしました。 松山製菓は、昭和25年に創業、キャラメル、餅飴からスタートし、現在では粉末ジュース、清涼菓子、スナック菓子などを手がけ、輸入菓子なども扱っているメーカーです。 伊原専務、羽田営業部長、そして藤原工場長にお話を伺いました。 |
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主な商品:スカットコーラ(左上)、ネオフルーツC、パンチコーラSP(左下)、テキサスコーン(右)、粉末ジュースシリーズ |
●松山製菓の歴史キャラメル記者(以降キャラ):「松山製菓さんのあゆみを教えてください」 伊原専務:「当社は、昭和25年1月1日に松山製菓所として飴菓子の製造を個人経営で始めました。その後、同じ年の12月に株式会社を創立し、キャラメルの製造をスタート、昭和27年には餅飴の製造も始めました。さらに昭和36年には現在も扱っている粉末ジュースの製造を開始、昭和38年には「パンチコーラ」などの発泡清涼飲料を製造開始しています。 また昭和58年には岐阜県関市に第2工場を建設し、そちらでは主に「テキサスコーン」などのスナック菓子を生産しています」キャラ:「粉末ジュースは、一時生産を中止していたとか」 藤原工場長:「粉末ジュースの最盛期は昭和34年から42年まででした。当時の3大メーカーといえば、「ジュースの素」、「おしるこの素」のワタナベ製菓と「シトロンソーダ」の春日井製菓、「ソーダラップ」の日本フードでしたね。ところが、昭和44年の秋ごろ、人工甘味料のチクロが使用禁止になったことにより、一挙に粉末飲料は無くなってしまったんです。当社でも製造を中止していましたが、昭和51年、新たな甘味料サッカリンNaが使用解禁になって復活しました」 羽田部長:「そういえば、あんこを仕入れたことがあったですね。「あんこ玉」のようなものも造ったことがあるかもしれません」キャラ:「東京の方では「あんこ玉」が人気なんですが、生製品なので、名古屋に仕入れることができないんですよ」 羽田:「生製品ではなかったかな」 伊原専務:「実は5年ほど前にテレビ東京の企画でワタナベ製菓の「おしるこの素」を再現したことがあるんですよ。もちろん当時のメーカーがないので、ジュースの製造工程を持っている当社にお話がありました。当時の製品そのままに復刻製造することはできたのですが、番組放送時ちょうどサリン事件がおこって特番になってしまい、オクラ入りになったんです。パッケージも同じものを作って、おもちの素も入れて、そして番組の最後には海老名香葉子さん(故林家三平の奥さん)が墓前に供えるという演出だったんですが(注:林家三平は当時のCMに出演してました)」 キャラ:「評判が高まれば松山製菓版「おしるこの素」もできますね」 |
●ネオフルーツCの作り方
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●パンチコーラは舐めないで
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●駄菓子の未来 キャラ:「松山製菓さんは、早い時期から海外輸出をされているということですが…」 伊原専務:「本格的に輸出向け商品を製造しはじめたのは昭和38年頃からで、当時は輸出が主力でした。1ドルが360円の時代です。昭和45年と46年には輸出貢献企業として通 産大臣から表彰を受けました。また平成5年にはインドネシアでキャンデーの委託生 産も始めています」 藤原工場長:「現在、主な輸出先は香港、シンガポール、インドネシアなどです。また桃、サイダー、コーラのハードキャンデーは、平成6年に始めたインドネシアからの輸入商品です。ボリュームがあって評判がいいんですよ」 ![]() 伊原専務:「当社の商品は、コーンスナックの原料には、フランス産のトウモロコシをオランダで加工したものを使用して、遺伝子組み換えコーンを使わないなど、原料の吟味に力を注いでいます。また駄菓子メーカーはいつの世でも子供のほうを向いていないといけないと思っています。安全な原材料を使って、子供たちの喜ぶものを今後も作っ ていきます。 当社はホームページを作っていますので、そちらもぜひご覧ください。http://www.mycf.com/」 |
| 駄菓子屋の店先で舐めていた粉末ジュース。なぜか僕は水に溶かした記憶がありません。取材で工場の中を見学させていただくと、いつも感じるのはまず匂い。松山製菓さんも甘くてすっぱい香りが濃厚に立ち込めていました。それはまさに粉末ジュースの匂い。見たり食べたりするだけじゃなく、駄菓子は匂いでも懐かしさを感じさせてくれます。 |
(取材日 2000.5.25) |